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大阪高等裁判所 昭和56年(行コ)28号 判決

控訴人(被告) 堺税務署長

指定代理人 浦野正幸 外五名

被控訴人(原告) 藤岡正雄

訴訟代理人 邑本誠 外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおり(ただし、原判決八枚目裏七行目「一、二」の次に「は」を、同一三行目「号証」の次に「は」を、同行目「二七号」の次に「証」を、同九枚目表二行目「一八号証」の次に「は」を、同裏一〇行目「七七」の前に「七六、」を加え、同一三行目に「益美」とあるのを「益実」と改める。)であるから、ここにこれを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  推計課税取消訴訟における実額反証について

(1)  申告納税制度、実額課税及び推計課税の意義とその位置付け

(ア) 申告納税制度は、所得金額の計算の基礎となる経済取引の実態を最もよく知つている納税者自身に、所得金額や税額を計算させ、その申告した税額を納付させることが最も合理的であるという考え方に基づいて採用されたものである(最高裁判所昭和三九年一〇月二二日第一小法廷判決、民集一八巻八号一七六二頁参照)。換言すると、国民は、租税負担の配分について国会を通じてそのコントロールに参加するとともに、国家の構成員として納税の義務を負つているが、この納税の義務は、単に定められた租税を国家に納付する義務があるとの消極的なものではなく、およそ民主主義国家にあつては、租税が国家の維持及び活動に必要な共同の費用であることにかんがみ、主権者たる国民がそれを自ら負担すべきことを明らかにしたものであり、したがつて、国民は積極的に納税に協力する義務を負つているものといわねばならない。申告納税制度は、このような納税の義務の手続面における反映であると解するのが相当である。

したがつて、申告納税制度のもとにおいては、納税者は単に所得金額や税額を申告書に記載して申告し、その税額を納付してしまえばよいというものではなく、税法に定めるところに従い正しい所得金額や税額を申告しなければならないし、税務署から求められれば、その所得金額の計算の基となる経済取引の実態を最もよく知つている者として、その申告の内容が正しいことを説明しなければならない立場にあるというべく、一方、税務署は国民からの信託により税法に従つて適正公平な課税を実現する使命を有し、そのための手段として、所得税法二三四条一項は、税務職員が所得税の調査に必要なとき同項各号に掲げる者に対し、質問調査をなし得る旨規定しているのである。

このように、申告納税制度のもとにおける納税者は、税法の定めるところに従つた正しい申告をする義務を負うとともに、その申告を確認するための税務調査に対しては、その所得金額を算定するに足りる伝票類や帳簿書類などの直接資料を提示し、所得金額の計算の基となる経済取引の実態を税務職員に説明する義務を負うものといわなければならない。

(イ) 実額課税とは直接資料に基づき所得金額を認定する方法であつて、事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要経費(当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における所得を生ずべき業務について生じた費用の額の合計額、所得税法三七条一項)を控除した金額とする旨定められており(同法二七条二項)、したがつて、事業所得の金額を実額によつて認定するには、すべての取引先からのすべての収入金額(総収入金額)と、その総収入と対応した費用の金額(必要経費)のいずれもが直接資料によつて明らかにされることと、税務職員の質問に対する納税者の誠実な応答、説明がなされることが必要不可欠である。

(ウ) 推計課税とは、直接資料を調査せずに、またはこれとは別個に、純資産の増減の状況などの間接資料によつて所得を認定して行う課税処分を意味するものであり、所得税法一五六条は、「税務署長は、居住者に係る所得税につき更正又は決定をする場合には、その者の財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模によりその者の各年分の各種所得の金額又は損失の金額を推計して、これをすることができる。」と規定し、推計課税を認めるとともに、青色申告に対して更正を行う場合にはこれを行い得ない旨定めている。

そして、推計課税は、一般に、〈1〉納税者が帳簿書類を備えつけておらず、収入・支出の状況を直接資料によつて明らかにすることができない場合、〈2〉納税者が一応帳簿書類を備えつけてはいるが、誤記脱漏が多いとか、同業者に比し所得率等が低率であるとか、二重帳簿が作成されているなど、その内容が不正確で信頼性に乏しい場合、〈3〉納税者またはその取引関係者が調査に協力しないため、直接資料が入手できない場合のいずれかの場合のみに許されると解されているが、これらはいずれも、税務署長が十分な直接資料を入手することができないために、所得の実額を算定することができない場合であり、結局、推計課税は実額課税をなし得ない場合に行われるものと解することができる。

本件についてみるに、控訴人が従前から主張するとおり、控訴人の部下職員は、昭和三八年末ころ、被控訴人宅へ数回臨場し、被控訴人の本件各係争年分及び昭和三七年分の各所得について調査を行つたが、被控訴人は、右調査に協力せず、その終りころに至つて右各年分の経費の一部についてのメモ書を示すにとどまり、右所得を明らかにする伝票類や帳簿書類などの直接資料を全く提出しなかつたのであるから、本件各処分時において推計課税の必要性があつたことは明らかである。

(エ) 以上の諸点に照らすと、所得税法一五六条は、納税者がその申告納税義務に違反して税務調査に協力せず、それがために税務署長において当該納税者の実額を把握できない場合に、直接資料とは別個に、純資産の増減の状態などの間接資料によつて当該納税者の所得金額を認定し課税する権限を税務署長に与えたもの、すなわち、納税者の申告納税義務違反によつて税務署長が当該納税者の所得の実額を検討できないことを理由として、実額による課税を断念し、推計による課税をなし得ることを税務署長に認めたものと解される。したがつて、推計課税においては、その推計による所得金額が実額と食い違うことは当然のこととして前提とされているものというべきである。

このような推計課税の認められる根拠については、一般に、直接資料が入手できないからといつて、課税を放棄することは、公平負担の観点から適当でないからであると説かれており、その趣旨とするところは、所得が存在すると認められるにもかかわらず、当該納税者の責に帰すべき事由によつて実額が把握できないとの理由で課税を放棄することは、他の誠実な納税者との間で、租税負担の公平を害する結果となり相当でないということにあるものと思われるが、前記(ア)において述べたとおり、申告納税制度のもとにおいて、納税者は、その所得金額の計算の基となる経済取引の実態を最もよく知つている者として、その申告の内容が正しいことを説明しなければならない立場にあることを考えると、推計課税は、申告納税義務に違反して実額課税の資料を提供しなかつた納税者とそれがために実額を把握できなかつた税務署長との間の衡平を図る趣旨をも含んでいるものと解するのが相当である。けだし、租税法律関係における税務署長は、通常の民事関係における当事者と異なり、納税者の所得金額の計算の基となる個々の経済取引について、直接の当事者でもなければ、直接の利害関係人でもなく、その成否について、直接具体的な事実や証拠を握つているわけではないから、納税者の協力なしに実額のすべてを把握し、完璧な実額課税をすることは著しく困難であり、したがつて、税務署長に実額課税の権限しかないとすれば、非協力な納税者に対する税務署長の立場はきわめて弱いものとなつて、適正公平な課税を実現するとの使命を十分に果たすことは困難であるため、所得税法一五六条は、このような非協力な納税者に対抗する税務署長の権限として、推計課税を認めたものと解することができるからである。

そうすると、推計課税の制度は、納税者の申告納税義務に違反する行為によつて実額課税が困難な場合に、その違反者である納税者が申告納税義務を遵守する誠実な納税者よりも利益を得るような事態の発生するのを防止し、もつて申告納税制度が適正に機能するのを担保するため設けられたものと位置付けるのが相当である。

(オ) ところで、推計課税を行うにおいても、比率法(例えば同業者比率)や効率法によりその収入及び経費の各金額を把握し、収支計算法によつてその所得を認定する方法が多く採用されているが、そのためには収入金額、仕入金額などその推計の基礎となる取引を正確に把握する必要がある。しかしながら、被控訴人の事業においては、売上先、仕入先などの取引先の数が非常に多く、反面調査によつてそのすべての取引先を把握することは容易でないうえ、把握できた取引先においても、本件各係争年中の取引の有無やその取引金額を確認できない場合などが存し、右推計の基礎となる取引の全容が把握できなかつたので、控訴人は、やむを得ず被控訴人の本件各係争年分の所得をいずれも純資産増減法によつて把握したものである。

純資産増減法は、課税期間の期首と期末の純資産(資産から負債を控除したもの)を比較して、その増加額を計算したうえ、期間中の生計費その他の消費金額を加算し、所得を推計する方法であり、期間中の取引の内容が不明確であつても、期首及び期末の資産、負債の額が判明しさえすれば、その期間中の所得の金額を把握することができ、しかもその資産、負債の額は、帳簿や伝票のみならず、不動産登記簿や預貯金の残高など一切の証拠によつて認定することが可能であるため、収支計算法に較べて、事後においてもその所得金額を把握しやすい利点がある。被控訴人の事業に対する前述したような反面調査の結果に照らすと、控訴人の採用した純資産増減法による推計課税が最も合理的な方法であることは明らかである。

(2)  推計課税取消訴訟における実額反証の適否

(ア) 実額反証とは、実額を把握できないためやむを得ずなされた推計課税に対し、審査請求または訴訟の段階になつて納税者から推計により算定された所得金額は帳簿書類等の直接資料に基づく実額に比べて過大であるとして、その推計課税の違法性を主張することをいい、したがつて、それは実額を算定するに足りる帳簿書類等の直接資料が存在しながら税務調査においてこれを提出しないなど、納税者が税務調査に協力しないために、税務署長が推計課税を余儀なくされた場合にのみ可能ということになる。けだし、そのような実額を算定するに足りる直接資料が存在しないために推計課税をしなければならなかつた場合には、後になつて納税者が実額を主張することは不可能であるからである。

ところで、税負担は担税力(所得税においては所得)に即して配分されなければならないとの租税負担の公平の要請は、必ずしも絶対的な要請ではなく、各種の政策目的などにより修正されているところである。その最も典型的な例は、租税特別措置法などにおいて認められている各種の租税特別措置であるが、そのような租税特別措置も、その措置の政策目的が合理的であるかどうか、その目的を達成するのにその措置が有効であるかどうか、それによつて公平負担がどの程度に害されるかなどの諸点から判断して不合理な措置でなければ許されると解されており、したがつて、所得税の認定に当つても必ずしも実額によらなければならない訳ではなく、その目的において合理的であり、かつ、その目的を達成するのに有効であれば、租税負担の公平を著しく害さない範囲内において、実額と異なる所得金額をもつて所得額を認定することも許される。加えて、推計課税は、前記(一)(1) (エ)において述べたとおり、直接資料とは別個に、間接資料によつて所得金額を認定し課税するものであるから、実額と食い違うことが当然のこととして前提とされているものである。

しかるに、審査請求や訴訟の段階に至つて、推計課税を余儀なくさせた納税者が推計による所得金額が実額を超えることを立証した場合に、常にその超える部分について推計課税が取消されるというのであれば、それは単なる事実の推定により直接資料を補正して行う課税処分と何ら変わりなく、直接資料とは別個に推計課税を行う権限を税務署長に対し認めた意味は著しく減殺されるうえ、申告納税制度に違反した納税者のためにかけられたそれまでの多額の徴税費と税務職員の労力は無駄に帰することとなる。このような結果が、申告納税制度を補完し、正しい納税申告をさせるための誘因策として採用された推計課税の規定の趣旨に沿うものでないことは明らかである。

このように考えると、所得額の認定に当つては、可能な限り実額によるべきであるとして、推計による所得金額に対し常に実額を優先させるのは合理的でなく、実額反証を認めるべきか否かは、税負担は担税力に即して配分されなければならないとの租税負担の公平の要請と、申告納税制度のもとにおいて推計課税を認めた法の趣旨とをいかに調和させるかとの観点から決められるべきである。

(イ) 推計課税を認めた趣旨は、前記(一)(1) (エ)において述べたとおり、〈1〉他の誠実な納税者との間の租税負担の公平、〈2〉税務署長との間の衡平を図ることにあるということができるが、申告納税義務に違反する納税者に実額反証の主張を無制限に認めることは、推計課税の権限を税務署長に認めた右の趣旨を著しく損なうこととなり相当でない。すなわち、〈1〉の点であるが、申告納税義務を誠実に履行する納税者は、法定申告期限までに納税申告をするとともに、税務調査においてその納税申告の基となつた直接資料を税務職員に提出し、その納税申告が正しいか否かについて税務署長の検討を受けることとなり、その際の反面調査等を含む税務調査によつてその納税申告に申告洩れが認められた場合には、修正申告ないしは増額更正を受けることとなるのに対し、申告納税義務に違反する納税者の場合は、その主張する実額反証の基となつた直接資料を審査請求や訴訟の段階になつて提出したとしても、その資料を確認するための調査が十分に行えないため、殆んどその納税者の提出した資料のみに基づいてその実額主張が検討されることとなり、結局税務調査に基づく検討を十分に受けることなく、納税者の一方的な行為により税額が確定するのと等しいこととなるばかりでなく、その実額反証のための資料が更正の除斥期間(通常は、法定申告期限から三年間)を徒過してから提出された場合には、たとえその資料の検討によつて、推計による所得金額以上の所得金額が存在することを税務署長が把握したとしても、もはや増額再更正はできないこととなり、また、その資料において多額の雇人費を支出したと認められる場合には、その納税者にはその雇人費に係る源泉所得税の徴収義務が生ずることとなるが(所得税法一八三条一項)、その雇人費を支出してから既に五年間を経過している場合には、その源泉所得税の徴収義務をも免れることとなる(国税徴収法七二条一項)。

このように、申告納税義務に違反する納税者は、誠実な納税者に較べてその立場はきわめて有利なものとなるので、その実額反証の主張が無制限に認められるとすれば、租税負担の公平を実質的に損なうおそれがあり、申告納税制度を基幹とする適正な税務行政にとつて重大な弊害を惹起こすおそれがある。

次に〈2〉の点であるが、税務署長は前記(一)(1) (エ)において述べたとおり、納税者の所得金額の計算の基となる個々の経済取引について、直接具体的な事実や証拠を入手し得る立場にはなく、加えて、推計課税がなされた場合には、そのような所得の実額を算定するに足る直接資料を入手できなかつたがゆえに推計課税を余儀なくされたのであるから、納税者の主張する実額反証に対する反対証拠を殆んど所持していないのが実情である。したがつて税務署長においては、実額反証がなされた後に、それを確認するための調査を実施し、それが真実に反する場合にはその証拠を収集しなければならないが、かかる調査は、通常確認すべき個々の経済取引がなされてから相当の日時を経過しているため、関係資料の保存期間が経過していたり、関係者の所在が不明であつたり、その記憶が不鮮明であることなどにより、著しく困難であるため、たとえ納税者の主張が真実に反する場合であつても、それを裏付ける証拠を新たに収集するのは殆んど不可能である。これに引き換え、実額反証を主張する納税者は、もともとそれらの経済取引の当事者であるから、課税要件事実に関する証拠との距離はきわめて近いうえ、実額を算定するに足りる直接資料が存在しながら税務調査においてはこれを提出しなかつたに過ぎないため、自己に有利な証拠を提出するのはきわめて容易である。

このような状況のもとにおいて、実額反証を主張する納税者の提出する証拠が税務署長の提出する反対証拠に優越すれば、その実額反証を認めるとすることは、申告納税義務に違反する納税者と適正公平な課税を実現するとの使命を有する税務署長との間の衡平を図るために推計課税を認めた趣旨を著しく損なうことは明らかである。

(ウ) 以上検討してきたところによれば、推計課税は、納税者の申告納税義務に違反する行為によつて実額課税が困難な場合に、その違反者である納税者が申告納税義務を遵守する誠実な納税者よりも利益を得るような事態の発生するのを防止し、もつて申告納税制度が適正に機能するのを担保しようとするものであるから、その目的が合理的であることには異論がないと思われ、また、その目的を達成するためには、推計による所得金額が実額を超える場合にも、その推計課税を適法とすることが有効であり、原則として違法とはならないものと解するのが合理的である。したがつて、実額反証の主張を無制限に認めることは相当でなく、前記租税特別措置についての見解に照らすと、その推計による所得金額が実額を著しく超えることが明らかとなり、その推計課税を維持することが租税負担の公平に著しく反することが合理的な疑いを容れる余地なく一見明白となつた場合にのみ、その推計課税は違法となるものと解するのが相当である。

また、実額反証によつて推計課税の違法性を主張できるのは、推計による所得金額が実額を著しく超えることが一見明白であること、すなわち合理的疑いを容れない程度に証明されることが必要というべきである。けだし、証明の程度について証拠の優越で足りるとされるのは、対立する当事者が証拠との近さなどにおいて対等な立場にあることが前提とされているところ、実額反証が問題となる納税者と税務署長との間にはそのような前提がなく、納税者の側が一方的に有利な立場にあり、しかも、それが当該納税者が申告納税義務に違反して、あえて税務調査に協力しなかつたことに起因するものであることを考えると、そのような納税者に証拠の優越でもつて実額反証が証明されたとの利益を認めることは信義則に違反する(一種の証明妨害と考えることができる。)といわなければならないからである。

(エ) 仮に右主張が認められないとしても、実額反証においては、納税者において、その主張する実額が存在すること及びそれが真実の所得の額に合致することの証明責任を負担するものである。すなわち、推計課税は、直接資料によらずに各種の間接的な資料を用いて、真実の所得にできるだけ近似した所得の額を算出し、これをもつて真実の所得を認定する方法であり、課税庁において、その主張する推計課税の合理性についての一応の立証をした場合には、その推計課税によつて、真実の所得に近似する所得の存在を主張立証したこととなり、他に特段の反証がない限り、これをもつて真実の所得であると認定されることとなる。そして実額反証とは、右のような場合に、直接資料により真実の所得を立証(反証)し、右認定をくつがえすものであつて、いわゆる間接反証事項である。したがつて、実額反証によつて推計課税の合理性を争う納税者は、当然に、その実額が存在することを立証(証明)しなければならない(証明責任を負担する。)のであつて、被控訴人が主張するようなその存在をある程度合理的に推測させるに足りる具体的立証を行えば足りるというものではなく、さらに、その主張する実額が真実の所得の額に合致すること、すなわち、単にその主張する収入及び経費の各金額を証明するだけでは足りず、その主張する収入金額がすべての取引先からのすべての収入金額(総収入金額)であること及びその主張する経費の金額がその収入と対応する(必要経費である。)ことまでも、証明しなければならないというべきである。けだし、本件の場合において、納税者がその主張する収入と経費の各金額を証明し、かつ、その対応関係を証明したとしても、それのみでは、それによつて算出された所得の額が真実の所得の額にどれだけ近似しているかは不明であり(収入金額が総収入金額の一部であれば、控除された経費がその収入に対応するものであつても、算出される所得は真実の所得の一部に過ぎない。)、かつ、課税庁が推計課税(純資産増減法)によつて算出した所得の額が真実の所得の額を上回ることを証明したことにもならず、その推計課税の合理性を何らくつがえしたことにはならないからである。

以上要するに、本件において、実額反証を主張する被控訴人は、〈1〉その主張する収入及び経費の各金額が存在すること、〈2〉その収入金額がすべての取引先からのすべての収入金額(総収入金額)であること、〈3〉その経費がその収入と対応するもの(必要経費)であることの三点を証明しなければならないのであり、それらの証明がなされない限り、被控訴人が主張する実額課税に依拠することはできず、控訴人が主張する推計課税(純資産増減法)の方法による事業所得金額の認定がなされるべきであつて、右三点の証明が尽くされた場合に限り、その主張する実額をもつて控訴人側の採用している推計課税をくつがえし得るものと解するのが相当である。

(3)  原判決の判断の誤り

所得税法一五六条の解釈としては、これまでに述べたことから明らかなように、推計課税を余儀なくさせた納税者に対しては、その推計による所得金額が実額を著しく超えることが合理的疑いを容れない程度にまで証明された場合、仮にそうでないとしても、実額反証を主張する納税者がその主張する収入及び経費の各金額の存在のほか、その収入金額がすべての取引先からのすべての収入金額(総収入金額)であり、その経費がその収入と対応するもの(必要経費)であることの三点が証明された場合に限り、その推計課税は違法となるものと解するのが相当であるところ、被控訴人は、申告納税義務に違反し、税務調査において直接資料を殆んど提出しなかつたばかりか、本訴においても、その主張する実額を証明するものとして、本件明細書しか提出していないうえ、同明細書は、次項以下において詳述するとおり、実額を算定するための直接資料としては信用できないものであるから、本訴においては、いまだ本件推計課税による所得金額が実額を著しく超えることが明らかな場合、もしくは前記三点の証明がなされた場合と認めることはできない。それにもかかわらず、所得額の認定に当つては、可能な限り実額によるべきであるとし、控訴人が被控訴人主張の各取引関係につき克明かつ網羅的な調査を行つたとの誤つた前提に立つて、控訴人が各取引の不存在について反証を提出していないとして、被控訴人の提出した本件明細書に基づき、一方的に所得金額を認定し、本件推計課税に係る所得金額がその認定した所得金額を超えているとの理由によつて本件推計課税を違法とした原判決の判断は、所得税法一五六条についての解釈適用を誤つた違法のあることが明らかである。

(二)  被控訴人の主張に対する反論、とくに本件明細書の信用性等について

(1)  推計課税、実額の主張と立証責任

前記(一)において詳細に主張したとおりであつて、被控訴人の主張はいずれも失当である。被控訴人は純資産増減法による本件推計課税につき、推計の基礎事実である資産及び負債の増減が確実に把握されていないから許されるべきでないとし、その根拠として次の四点を指摘するが、〈1〉被控訴人の本件各年分の総所得金額について控訴人が主張する金額は、大幅に、しかも日時の経過とともに増加しているとの点については、被控訴人の協力がないため把握洩れとなつていた被控訴人の純資産が徐々に判明したことを表わしているに過ぎず、当初把握していた純資産が存在していないことを表わすものではないから、これをもつて、本件推計課税が合理的でないといえないことは明らかであり、また、〈2〉原判決の認定した金額と控訴人の主張立証する金額との間には大幅な違いがあるとの点については、原判決の認定する収支計算自体が不合理なものであるから、その収支計算による認定額と大幅な違いがあつたとしても、そのことが本件推計課税の合理性を何ら損なうものでないことは当然である。さらに〈3〉控訴人の主張する原材料、土地及び借入金に関する各年分の期首ないし期末の金額は、当時の被控訴人の事業の実態を把握しておらず、また、事故賠償金についても全く把握されていないとの点については、当時の被控訴人の事業の実態が被控訴人主張のとおりであつたとする証拠は、被控訴人の供述以外にないため、そのこと自体が問題であるが、それはさておき、控訴人の主張する純資産増減法における原材料や土地の価額は、期首ないし期末の一時点における価額であるから、たとえ大量の山土等が購入されたとしても、期中においてそれらが消費されるなどして期末に残存していない場合には、その山土等を考慮する必要は何ら存しない。したがつて、その価額が期中における購入価額を反映していないとしても、何ら問題はなく、このことは事故賠償金についても同様である。なお、仮に、それらの価額が控訴人の主張金額以上に存在するというのであれば、被控訴人において、それを認めるに足りる資料を提出して立証すればよいのであつて、そのことのゆえに、本件推計課税そのものが合理的でないというのは相当でない。また、支払手形は手形を振出しながらいまだ決済を終えていないものをいうのであるから、その実質は借入金と異ならず、被控訴人が主張するような借入金と相関関係にあるものではないから、支払手形の増加を認めたからといつて、借入金の増加を認めなければならない必然性は存しない。以上のとおり、控訴人の主張する金額には当時の被控訴人の事業の実態が反映されていないとの点は、純資産増減法における各勘定科目の金額の意味についての誤解に基づくものであり、それによつて、本件推計課税の合理性が損なわれるものではない。また、〈4〉当時の被控訴人の事業における特殊事情が考慮されていないとの点についてであるが、推計課税において特殊事情の存在が問題となるのは、同業者率を採用した場合にその同業者の類似性を判断する場合であつて、本件推計課税のように、被控訴人本人の本件各係争年分の純資産を把握してなされた場合には問題となり得ない。けだし、その純資産の増減のなかにそれらの事情はすでに反映されているからである。このように被控訴人の指摘するところは、いずれも本件推計課税の合理性を損なうものでないことは明らかである。

(2)  本件明細書の信用性

(ア) 本件明細書は、その記載の態様から明らかなように、取引先別に一か月分ごとの取引額を一括した一覧表形式のものであつて、日々の取引の経過や各勘定科目の相互の関係が把握できるような記載形式を整えているものではなく、また、本件各処分がなされた後、異議申立までの約一か月の間に、被控訴人の妻である藤岡彰子が作成したというものであつて、本件係争各年分における個々の取引の過程において作成されたものでないことが明らかである。さらに、同明細書に記載された取引先の数がきわめて多数であるのに対比して、その作成期間が非常に短いことなどをも併せ考慮すると、同明細書記載の取引金額は、被控訴人側において本件各処分がなされた後に、これに対抗する自己の主張を構成するため一方的に記載したものであつて、相手方である取引先の確認を得ていないものであり、被控訴人の主張と何ら異なるところはないというべきである。

さらに、本件明細書は、その記載の態様から会計の準則に従つて日々の取引の結果を正確に記載したものであるとの保証は全く存しないばかりか、その作成の過程において売上の除外、架空経費の計上などといつた人為操作の入り込む余地が大きく、それ自体としては、同明細書に記載された取引以外の取引が存在しないことはもとより、これに記載された取引が存在することをも何ら証明するものではないといわなければならず、同明細書をもつて実額認定の資料となし得るためには、さらに、日々の取引を正確に記帳した各種帳簿、伝票、領収書等の証拠(原始資料)によつて客観的にその記載が裏付けられなければならない。

(イ) 本件明細書作成について職業会計人として関与した高部博至税理士は、石炭箱の中に伝票類がバラバラに、また、かなり乱雑に、整理されていない状態で入つていたことを目撃しているとしても、石炭箱の個数については明らかでなく、その伝票の種類については全く確認していないのであつて、被控訴人が作成保存していたと主張する請求書、領収証、契約書、入金・出金伝票、手形・小切手控等の原始資料が現実に作成保管されていたかどうかも明らかではない。

また、高部は本件明細書の基礎になる伝票とか各証票書類その他については見ておらず、原始資料と本件明細書との照合は全くしていないのであつて、事故賠償金については、具体的な資料を一切見ずに被控訴人の主張を鵜呑みにしているものである。

そして、収支計算の基礎になる数字そのものの整理は被控訴人側において行い、高部においては収支計算書を作成するに当つて、科目の整理を行つたのみであり、基礎的な数字の集計についての指導の内容については、取引先別、月別に各項目の集計をするよう指示したのみで、原始資料や取引銀行での確認に基づいて基礎的な数字を計上しなければならない旨の指示をしていないのである。

以上のとおり、高部は収支計算書を作成するに当つて、自らが科目整理を行うに際しても原始資料と本件明細書との照合、原始資料の点検については全くしていないのであつて、本件明細書が、被控訴人主張のように、税理士の指導のもとで原始資料に基づいて作成されたとはいい得ない。

(ウ) 被控訴人は、原処分時の調査に際し、税務職員からの質問に対し殆んど応答せず、また、帳簿等の提示要求に対しても、納税相談の際に税務署へ預けたままであるので手元にないとしてその提示を拒み、さらに審査請求時の調査に際しては、訴訟をするから一切の協力及び資料の提示はしないと明言し、取引先の住所などを明らかにするよう求めた大阪国税局の協議団からの照会に対しても回答しなかつた。

このため、原処分庁は反面調査によつて被控訴人の事業所得金額を算定しようとしたが、前記(一)(1) (オ)において述べたとおり、被控訴人の取引先の数がきわめて多数であり、取引銀行の調査などによつてその全取引先を把握するのは著しく困難であるうえ、漸く把握した取引先についても、その事務所がすでに移転していたり、帳面をつけていなかつたりなどして取引金額の調査をすることができないなど、その反面調査が非常に難航したため、売上げ及び必要経費の各金額を正確に把握しなければならない損益法(収支計算法)によつて事業所得の金額を算定することはできないと判断し、純資産増減法によつて右所得金額を推計することとしたものであり、また、前記協議団においても、被控訴人から提出された収支計算書などを検討した結果、一方において、売上げについての計上漏れがあつたり、経費についての過大計上があるなど、その収支計算書を全面的に信頼できないことが明らかになるとともに、他方において、被控訴人から右収支計算書の関連書類の提出やそれに関する質問への誠実な回答などがなく、反面調査の結果だけでは十分に調査できない点が残ることが明らかとなつたので、損益法に頼ることはできず、純資産増減法によつて被控訴人の事業所得金額を推計するほかはなかつたものである。このような調査経過に照らすと、控訴人側の調査が被控訴人の取引先につき、ほぼ網羅的に行われたものとは到底認めることができない。

(エ) したがつて、本件明細書が正式の帳簿に準ずるものとして十分信用できるとし、同明細書のみに基づいた収支計算をもつて、正規の会計原則に基づいたものとする被控訴人の主張は明らかに失当であり、控訴人側による被控訴人の取引関係についての調査結果中、本件明細書の記載と食い違いのある部分が、同明細書記載の夥しい全取引数に占める割合は僅かである以上、解明不能の不一致部分の残存をもつて同明細書記載の他の取引についての記載の信用性を否定する根拠とすることは当を得ないとし、さらに、同明細書記載の各取引中、反対証拠が提出されている取引以外の各取引については、他に特段の事情が認められない限り、反証なきものとして、その記載に従う存在を肯認することが相当であると判示して、本件明細書を実額認定の基礎資料として十分に使用に耐え得るものであるとした原審の認定判断は、控訴人側が被控訴人の取引関係につき克明かつほぼ網羅的な調査を行つたとの誤つた前提のもとになされたものであるうえ、被控訴人の非協力などによつて実額認定をなし得るだけの調査結果を得ることができないため、やむを得ず推計課税をなすに至つた控訴人側に対し、被控訴人が実額反証として主張した各取引の不存在の証明を強いるものにほかならず、その不当であることは、これまですでに詳述したところから明らかである。

(3)  本件ノートの存在及び紛失の有無

(ア) 控訴人は、後述するとおり、本件ノートなるものが存在したことはもとより、昭和四二年四月控訴人による株式会社藤岡組の昭和三九年一二月期分から同四一年一二月期分までの三事業年度分の法人税調査(以下「別件税務調査」という。)の際、紛失したことを争うものであるが、仮に本件ノートが存在したとしても、被控訴人は、原処分調査の際にも、その後昭和四一年六月までになされた異議申立や審査請求の際にも、本件ノートを被控訴人の事業所得金額を明らかにするための資料として提出せず(この時期に本件ノートが紛失していなかつたことは被控訴人の主張自体から明らかである。)、また、被控訴人の妻藤岡彰子は、本件明細書を作成するに当つて原始記録を資料としたというのであり、被控訴人自身も原始記録のうち、一部は原審で審理中の昭和四七、八年ころまで、残りは原判決が言渡された昭和五六年ころまでの間保存していたというのであつて、被控訴人は、原処分、異議申立及び審査請求のいずれの段階においても、原始記録を保存していたにもかかわらず、これを全く提出せず、本訴においても、原始記録のうち若干の領収書等を提出しただけで、その殆んどを提出していないのであるから、たとえ本件ノートが提出されたとしても、その記帳の基となつた原始記録との照合、確認によつてその正確性を具体的に検証することは全く不可能である。しかも、本件ノートを資料として作成されたという本件明細書には前記(二)(2) (ウ)において述べたとおり、売上げの脱漏や経費の水増し計上など、多くの誤記、脱漏があつて到底正確なものといい難く、このことは本件ノート自体の正確性を疑わしめるに十分である。加えて、本件ノートの存在及び内容を証明すべき証拠は、原審証人藤岡彰子の証言、原審及び当審における被控訴人本人の供述以外には存在しないうえ、それらによつても、本件ノートの具体的な作成方法やその記載内容の詳細などその正確性を判断するうえで基本的かつ重要な事項がきわめて不明確であり、およそ「日々経理関係の事項について概ね忠実に記載されていた」などと認められるものではない。

以上の諸点を総合して考慮すると、本件ノートは全体としてその正確性に乏しく、被控訴人の本件各係争年分の経理の実体を正確には記帳していないものと推認するのが相当であつて、その記帳の基となつた原始記録との照合、確認によつてその内容の正確性を具体的に検証したうえでなければ、到底措信しがたいものといわなければならない。したがつて、右の原始記録の殆んどが提出されていない本訴にあつては、たとえ本件ノートが証拠として提出されたとしても、それをもつて、被控訴人の本件各係争年分の事業所得を実額によつて認定するための直接資料とはなし得ず、また、本件明細書の正確性が立証されたことにはならない。

そうだとすると、控訴人の別件税務調査の際本件ノートが紛失したか否かにかかわらず、本訴にあつては、本件明細書の正確性についての被控訴人による立証はきわめて不十分であるというべく、その原因は、前述したところから明らかなように、被控訴人が原始記録の殆んどを証拠として提出しなかつたことにあるのであるから、本件明細書の正確性が立証されていないことの不利益を被控訴人に負担させることは何ら酷なことではない。

(イ) ところで、控訴人が本件ノートを紛失したか否かの点については、被控訴人は、別件税務調査の際に税務職員稲田喜作らが本件ノートを持帰つたまま返還しない旨供述しているのに対し、右稲田は、別件税務調査の際に、株式会社藤岡組の営業に関するメモ一枚を紛失したことはあるものの、同会社の事業内容を把握するのに関係がない本件ノートを持帰つたり、紛失したりはしていない旨証言し、結局、右両者のいずれが措信できるかとの問題に帰着するが、以下に述べるとおり、被控訴人の供述は、本件ノートの作成者、紛失の時期等の重要な点において著しく変遷しており、一貫性を欠いているうえ、その供述内容自体にも不自然な点が多いばかりか、被控訴人の妻藤岡彰子や当時同会社の従業員であつた馬場正の各証言とも符合しない点がみられるなど到底信用できないものであり、右稲田の証言こそが措信し得るものである。以下項を改めて検討する。

(ウ) 被控訴人は、原審において、当初(昭和五四年一〇月五日の時点まで)は、経理は妻彰子が簡単な帳面(きつちりした帳面ではない。)をつけているくらいのことで、帳面類の紛失については、昭和三七年三月の申告相談の際に売上ノートと仕入ノートの二冊を預けたが返却されなかつた旨供述し、別件税務調査に関しては、入札書類の紛失のみが強調され、預り証記載の銀行勘定帳は個人の分である旨の供述があるのみで、ノートの紛失について言及されていなかつた(右供述どおりであるとすれば、本件明細書作成当時にはノートが手元になかつたこととなり、ノートを資料として本件明細書を作成した旨の証人藤岡彰子の証言と予盾する。)。ところが、その後(昭和五五年三月六日の時点では)これまでの供述を変更し、山本という事務員が黒い表紙のノート一、二冊に売上げ及び支払関係の事項を記帳しており、本件明細書の売上げは右ノート(以下「山本ノート」という。)を基にして作成したもので、これによつて売上げのすべてを把握できた筈であり、前記申告相談の際には、山本ノートのうちの昭和三六年分を帳面一冊に書き写し、その写した帳面を預けたのであつて、山本ノート自体は手元に残つていたが、別件税務調査の際に前記稲田が山本ノートを二冊とも持帰り返却しなかつた旨供述するに至つたものである。

ところが、さらに被控訴人は、当審(昭和五九年八月二日、同年一〇月一八日の時点)において、山本は主として売上げを記帳し、妻彰子は経費関係をつけており、前記申告相談の際預けたのは、山本が記帳していた帳面(山本ノート)と妻彰子がつけていた帳面(以下「彰子ノート」という。)からそれぞれ昭和三六年分を抜すい(書き写し)したものであり、預り証記載の銀行勘定帳は、山本が記帳していた被控訴人の個人営業当時の分(売上関係に関する帳面)で、鍵のかかつた机の引出しの中に入れてあつた旨供述した(右供述どおりであるとすれば、彰子ノートはこれと関係なく被控訴人の手元に残つていることとなる。)が、その後控訴人指定代理人の追及に対し、別件税務調査の際に稲田が持帰つたまま返却しない帳簿には、山本ノートだけでなく彰子ノートも含まれていた旨供述するに至つたものである。

このように、被控訴人の一連の供述は、ノートの作成者、その紛失の時期など基本的かつ重要な事項について著しく変遷しており、その内容がきわめて不明確であつて、稲田が山本ノート及び彰子ノートを持帰つたとの点はもとより、ノートに関するその他の点についても到底措信できないものである。

また、被控訴人の供述には、次のような不自然な点が多く存在する。すなわち、前記申告相談において指導を受けるためであれば、ノートそのものを持参すればそれでことが足り、何もわざわざ手間ひまかけて膨大な量にのぼる昭和三六年度分の取引を別途抜すいし書き写した帳面を持参しなければならない必要性はないこと、稲田らが別件税務調査の際、被控訴人の了解を得ないで社長室の机の中の書類を持帰つたというのであれば、被控訴人は、事務員から報告を受けて直ちにこれに対して抗議すべきであるのに、現実にはその翌々日になつてから抗議し、しかも抗議の内容は大阪府の入札関係の書類(稲田の証言によれば選挙関係のはがき)の紛失についてであつて、預り証記載の書類に関するものでないこと、稲田が持帰つた書類を返却した際、預り証記載以外の書類を所持していたというのであるが、稲田が持帰つたものは、預り証記載の書類だけであり、それ以外のものを持帰つたことなどあり得ないこと、警察へ通報したのは、入札関係の書類が紛失したことについて、大阪府の担当係長から警察へ届けて証明できる書類をもらうようにいわれたためであるというのであるが、現実には被害届は提出されておらず、被控訴人自身当初からその届出を拒み、刑事事件として立件されることをもともと意欲していなかつたことなど明らかであり、被控訴人主張の書類紛失盗難の事実自体きわめて疑わしいというべきである。

さらに注目すべきことは、本件明細書を作成したという被控訴人の妻藤岡彰子の証言中には、山本が経理関係の事項をノートに記帳していたとの事実や、別件税務調査の際、山本ノートないし彰子ノートが紛失したとの事実について、これを窺わせるような証言部分が皆無であるということである。このことは、仮に山本が何らかのノートを記帳していたとしても、そのノートは被控訴人の事業所得金額を算定するための資料とはなし得ない性質のものであること及び別件税務調査の際に税務職員が紛失したとされるものが本訴とは関係がないものであつたことを推認させるものである。

(エ) 他方、証人稲田喜作は、別件税務調査の状況につき詳細に証言しているが、何ら不自然なところはなく、右証言は、十分に措信し得るものである。被控訴人は、ノートの紛失につきるる主張するが、〈1〉稲田は、昭和四二年四月三日被控訴人方に別件税務調査に赴いた際、被控訴人が調査の途中で、その従業員山本久雄に応待を任せて外出したため、提示を受けた資料について同人に説明を求めたが、それに答えられなかつたので、高部税理士事務所の事務員の立会のもとに調査を進めたものである。同事務所では、顧問先の会社の税務調査がある場合には必ず税理士または事務員が立会つており、同事務員藤井伊兵衛は、警官が出動した日に立会つたことを記憶している旨証言しているものの、それ以外の日に立会つたか否かについては明らかにしていないのである。また、〈2〉稲田は、別件税務調査において、株式会社藤岡組の昭和四一年一二月期の帳簿に賢明学院からの工事代金の入金事実が記帳されているか否かを確認するため、預り証(甲第三四号証)記載の書類を持帰つたのであり、これに記載の「銀行勘定一冊」はまさに同会社の右事業年度における銀行勘定に関する帳簿書類であつて、これが本件各係争年分の被控訴人個人の事業所得に関する本件ノートでないことは明らかである。銀行の反面調査は、納税者の銀行勘定帳の会計処理が正当か否かを確認するものであつて、銀行の反面調査ができるからといつて、銀行勘定帳の調査が不要であるとはいえない。なお、被控訴人は稲田に対し、賢明学院からの工事については仲介をしただけであると説明しているものの、右工事代金は、帳簿処理上被控訴人から株式会社藤岡組への貸付金とされているのであつて、このことは、売上除外による資金を架空借入金として受け入れた典型的な脱税行為とみることができるのであり、控訴人は右賢明学院からの所得が正規に計上されていたことを認めているものではない。さらに〈3〉稲田が社長室の机の引出しの中に同会社の営業に関する書類が入つていると考えるのは当然であり、同会社の名前が記載されていたり、その作成日付などから同会社の資料と思われるメモや伝票等の提示を求めて調査したが、その改変を防ぐためこれを持帰つたものであり、預り証記載の書類(これが被控訴人に返還された後、証拠として提出されていない。)が同会社の書類でなく、被控訴人個人のもの(私物)であるとの点については、被控訴人本人の供述以外にこれを裏付ける証拠はなく、右供述は到底措信しうるものではない。また、〈4〉被控訴人は、警察へ通報したのは、入札関係の書類が紛失したためであると主張するが、被控訴人は同会社の従業員である馬場正から、同人のかつての上司であつた大阪府警察本部の上原止菊を紹介され、同人を通じて堺北署に積極的に働きかけた結果、私服警官が出動したものと考えられ、別件税務調査の経緯に照らすと、同会社に売上げの脱漏があるとの事実を既につかんでいた右稲田らの右調査がさらに進展することを阻止せんがために、これに対するいやがらせとして警察への通報に及んだものと解するのが合理的である。〈5〉預り証の預り品名欄の右側に鉛筆でチエツクがなされているが、これが警察官によつてなされたものであることについては、その警察官は特定されていないし、その場に居合わせたという前記藤井も全く関知しないところであつて、被控訴人本人の供述以外にはこれを認めるに足りる証拠はなく、右供述は措信することができない。

なお、税務調査は任意調査であるため、通常納税者と調査担当者の間には、一定の信頼関係が保たれており、書類等の預り証の作成にあたつても、強制調査の場合と異なり、ある程度簡略化されているのが通常であつて、稲田が預かつた書類を翌日には返還する意図であつたことを併せ考えると、書類の特定に関し詳細な記載がなかつたり、名下に押印がなされなかつたとしても、預り証として不備があるわけではなく、通し番号を誤つたことや複写の点についてはこれを取り立てて問題にすべき事柄ではなく、また、稲田が弁解用に急拠作成したものであるならば、同人が現に所持している書類のみを記載すれば足りるのであつて、所持していない書類まで記載することは不可能であるといわざるを得ず、被控訴人の主張は失当である。

さらに、被控訴人からの申出事項などを記載した前記協議団の協議官金田作成の処理経過表及びこれに対する被控訴人の対応などに照らすと、被控訴人は控訴人に対しその事実がないのに関係書類を控訴人に預けたとか、控訴人がこれを紛失したと称して、自己に対する課税処分を免れようとする意図が十分に窺え、被控訴人の書類紛失に関する主張は、全体として措信し得ないものである。

(4)  証明妨害について

原判決は、控訴人による別件税務調査の際に本件ノートが紛失したとの事情のもとでは、右ノート不提出の不利益を被控訴人に負担させることは酷であると判示しており、これによつていかなる効果を認めたものであるかは必ずしも明らかではないが、被控訴人が負担する本件明細書の正確性についての立証責任を著しく軽減し、結果的には、被控訴人がその立証責任を尽くしていないにもかかわらず、本件明細書の正確性が具体的に検証されたのと同一の効果を付与し、控訴人に対しこれが正確でないことについての立証責任を負担せしめたものと考えられる。

ところで、控訴人が本件ノートを紛失したとの認定事実が誤りであることは前述のとおりであつて、本件ノートの不提出の不利益を被控訴人に負担させないとする原判決の立論はその前提を欠き失当というべきであるが、いわゆる一般的な証明妨害の問題に関しては、民訴法上明文の規定を欠き、また、これに関する裁判例もなく、学説上もその要件及び効果について定説をみないが、民訴法三一七条の規定や判例、学説によると、当事者の一方が相手方の立証を妨げる行動をした場合に、それを理由として、反対事実の証明がない限り、相手方の立証責任事実を真実なものと推定するためには、右妨害をした当事者が故意にその妨害行為をしたことを要するものと解するのが相当である。

被控訴人は、同条の使用妨害の目的とは、訴訟上書証として用いることを妨害する意図があればよく、特定人を相手方と意識したり、妨害の目的が具体的であることは必要でなく、当該文書が存在しては相手方に利用されて自己に不利益になるかもしれないと考える程度で足りると主張しており、右主張の当否はさておくとしても、稲田は当時堺税務署法人税部門上席調査官であり、本件訴訟に関する事務分掌を有しない者であつて、本件訴訟について全く知らないまま株式会社藤岡組の別件税務調査に臨んだことが明らかであり、同人に訴訟上書証として用いることを妨害する意図があつたとはいえないというべきであつて、被控訴人の主張は失当である。

(5)  借入金について

(ア) 課税庁が推計課税(純資産増減法)により所得を算定したのに対し、納税者が課税庁認定の額を上回る借入金の存在を主張して争う場合においては、右借入金のような所得金額計算上の消極事由は、納税者において立証する責任を負うものと解すべきであるから、本件借入金についての主張、立証責任が被控訴人にあることは明らかである。

(イ) 被控訴人主張の石井秋平らからの本件借入金は、いずれも被控訴人が課税処分を免れるための手段として用いた架空のものであり、その手口は売上の一部を除外することのほか、既に倒産している取引先である弥栄重機株式会社の場合のように、相手方名義の領収証を偽造するといつた方法によつて、多額の架空外注費等の経費を計上したうえ、その外注費等を帳簿上支払つたかのように見せかけて、右架空計上相当分の現金を簿外とし、その一方で右石井らからの多額の架空の借入金を計上して帳簿上のつじつまを合わせるといつたやり方をとつていたものである。

(ウ) しかしながら、右借入金の真偽を判断するにあたつては、単に本件係争年度の枠の中だけで考察するのは相当でなく、その前後の年度における納税申告の状況や被控訴人の納税に対する意識、性格等をも含めた全体的視野に立つて判断する必要がある。

ところで、被控訴人は昭和三八年一月にそれまでの個人営業を会社組織に改め、以後株式会社藤岡組の代表者として業務全般を統括しているものであるが、同会社は昭和五二年一一月二五日ほ脱の容疑で大阪国税局査察部の強制捜査を受け、引続き調査中であつたにもかかわらず、被控訴人は右調査継続中の昭和五三年一月中旬ころから同年二月一〇日(昭和五二年一二月期の確定申告日)までの間に西野秀雄に指示して新たに数千万円にものぼる架空の外注費ないしは未払金を計上させるなどの操作をしたうえで確定申告をし、昭和五四年三月七日の収税官吏に対する質問てん末書において、長年にわたつて同じ手口で脱税を繰返していた事実を自認し、昭和五五年九月一九日大阪地方裁判所において法人税ほ脱事件につき有罪判決(確定)を受けたが、右事件における脱税の手口も本件の場合と基本的には同一である。

これらの事実はいずれも被控訴人が本件各係争年度当時から法人成り後の昭和五二年一二月期の事業年度に至るまでの間、長年にわたり継続して同様の手口による租税回避行為を続けていたことを窺わせるものである。

(エ) 被控訴人主張の代物弁済は、被控訴人が右石井らと通謀のうえ、本件借入金がいかにも真実存在したかのように思わせるためのみせかけの措置にすぎない。すなわち、代物弁済を原因とする所有権移転登記ないし仮登記は、折から控訴人部下職員ならびに大阪国税局協議官らによる調査が行われていた審査請求の係属中に相前後して一斉になされており、被控訴人主張の本件借入金債務が個人営業時代のものであるとしても、法人成りした時点において当然に会社に承継されたとみるべきであるのに、それを被控訴人の個人所有不動産をもつて代物弁済に充てるごときは、常識では考えられず、また、本件借入金はいずれも無利息、無担保で、借用証すら作成しなかつたというのであるが、それが突如として代物弁済をし、その登記まで了するなどということはいかにも不自然である。なぜなら、狭山町大字岩室の物件を鳩タクシー、南海電気鉄道に転売した件にしても、その交渉等はすべて被控訴人において行つているのみならず、売買代金そのものも藤岡岩雄に交付された形跡はなく、被控訴人において自由に処分しているとみられるほか、右転売した物件以外の不動産の権利証は被控訴人が保管し、また、同町今熊の物件については、新たに債権者を大阪府中小企業信用保証協会、債務者を株式会社藤岡組とする根抵当権設定登記がなされ、さらには、大阪市住吉区北島町の土地についてはその土地上に鉄筋四階建の同会社大阪支店のビルが建つており、堺市戎島東の土地は同会社の倉庫として使用されていること等の事実を仔細に検討すれば、石井らが代物弁済等によつて右各物件を取得しなければならないだけの実質的理由も、その必要性もなければ、権利者としての実体は何ら備わつていなかつたこと、換言すれば、物件の所有名義を形式上他に移したといつても、それは単にみせかけにすぎず、その実体は右各不動産が現に被控訴人所有のものであることについて疑問をはさむ余地はないと認められるからである。

(オ) 被控訴人は、新木政太郎が代物弁済で取得した戎島東の土地上の倉庫を藤栄建設株式会社に賃貸していると主張するが、同会社は、被控訴人の元雇人である古荘順慶、山本久雄、実弟である藤岡忠雄らによつて経営され、株式会社藤岡組と密接な関係を有する関連会社であり、その賃貸借契約書は、控訴人が原審から右代物弁済の不存在を主張していたにもかかわらず、当審において昭和五九年八月二日に至りはじめて提出され、その契約日は昭和五五年四月二〇日、期間は昭和五六年四月末までとされており、その後の契約状況は明らかでなく、賃料を支払つた領収証も提出されていないことなどを総合すると、右契約は、控訴人の右主張に対抗するため、右新木名義の土地を倉庫として使用していることを合理化するためになされたものと思われ、また、石井秋平が代物弁済で取得した北島町の土地(ただし、藤岡茂の所有名義になつている。)について、藤岡茂と株式会社藤岡組との間になされた賃貸借契約書についても、同様昭和五九年八月二日に至りはじめて提出され、その契約日は昭和五七年一二月二〇日、期間は二年とされていて、被控訴人は、それ以前から賃借しこれまで何回か更新していると供述してはいるものの、賃料を支払つた領収証も提出されていないことからすると、右契約も前同様、同会社が右土地を使用していることを合理化するためになされたものと思われる。

また、被控訴人は、右石井に対する借入金の返済を代物弁済でなしたほか、残金一二五〇万円を昭和四〇年一月ころから昭和四九年ころまで、毎月一〇万円または一五万円あて分割して返済した旨主張するが、右返済に関する領収証その他の書証については全く提出されていないうえ、右石井自身前記協議団審査第六部の越本からの照会に対し、北島町の土地については、昭和三二年中に被控訴人に貸付けた五〇〇万円の代物弁済として受領した旨回答しているのであるから、被控訴人の主張はにわかに採用することができない。なお、被控訴人は、前記法人税ほ脱事件について述べたとおり、右石井と通謀して同人からの多額の架空借入金を計上して脱税していたものであり、仮にそうでないとしても、架空計上した借入金について右石井に対して国税局の調査や検察官の取調べの際には、被控訴人主張の金額と同額の貸付をした旨供述するよう要請していることに加え、被控訴人と右石井との密接な関係が続いていたことを総合すれば、本件各係争年においても右と同様の手口によつて借入金を架空計上していたものと考えられる。

さらに、被控訴人が藤岡岩雄に代物弁済したと主張する狭山町の土地一三筆のうち、同町今熊五四〇番地一反三畝歩の土地については、未だ登記簿上代物弁済されていないばかりか、岩室三一九番地二畝二〇歩、同三二一番地二六歩、同三三〇番地一畝歩の合計三筆の土地については、代物弁済の登記は一応了しているものの、その後右登記は錯誤を理由として抹消されている。

2  被控訴人の主張

(一)  推計課税について

推計課税が適法として是認されるためには、推計課税が合理的でなければならないが、そのためには、推計の基礎事実が確実に把握されており、具体的事案においてその推計方法の適用が最適であり、その推計方法が真実の所得金額に近似した数値を把握し得るような客観的なものでなければならない。

本件において、控訴人が行つている純資産増減法による推計課税は、推計の基礎事実である資産及び負債の増減が確実に把握されていないから許されない。すなわち、

(1)  被控訴人の本件各係争年分の総所得金額について、控訴人が主張する金額は、本件各処分時、本訴の段階(昭和四二年三月三〇日付及び昭和四三年六月二六日付各準備書面)において、日時の経過とともに大幅に増加しており、基礎事実の把握がきわめて杜撰である。これに対し、原判決は、収支計算による実額の認定として、昭和三五年分二〇四一万二一五二円、昭和三六年分三六八〇万六九〇二円の損失を認めたのであるが、本来所得額の認定は、収支計算による実額によろうが、推計課税によろうが、近似しなければならないのであつて、原判決の認定した金額と控訴人の主張立証する金額との間に大幅な違いがあるのは、控訴人の推計課税において基礎事実の把握が不確実であり、推計方法の選択を誤つたからである。

(2)  被控訴人は、昭和三〇年ころから建材の販売を行つていたが、順次土木請負工事に手を広げ、昭和三四年一一月から昭和三七年六月までの間、八幡製鉄株式会社の堺臨海工業地帯約七万坪の埋立工事を下請けし、これにより急激に事業活動を拡大するに至つたものであり、その工事の方法は平均水深六メートルの海面を指定された良質の山土をもつて埋立てるというものであり、当時はこの種工事の走りであり、全力を投じてこれに取組んだが、そのため大量の山土等の原材料、建設機械、車両運搬具等を購入し、あるいは多額の損害賠償責任を負担し、その資金の一部として、被控訴人主張の相当の借入をなしたものである。

(ア) 被控訴人は、山土等の購入代金として、昭和三四年末、尾崎好雄に三三〇〇万円を預託し、同人を介して昭和三五年中に一四五〇万円、昭和三六年中に九五〇万円の山土等を購入した(右尾崎が協議団の調査に対し回答している金額は、一部の数字で正確なものでない。)。控訴人主張の原材料、土地の本件各係争年分の期首ないし期末(以下「各基準日」という。)の金額は、被控訴人の事業の実態を反映していない。

(イ) 建設機械、車両運搬具の増加に連動する控訴人主張の支払手形の各基準日の金額は、被控訴人もこれを認めるものであるが、右の如き多額の支払手形を決済し、かつ、後記の事故賠償金を支払うためには、控訴人主張程度の借入金で賄うことはできなかつた。

(ウ) 被控訴人は、本件各係争年度において、山土を工事現場まで搬出しなければならず、その作業に関連して相当の交通事故が発生したが、控訴人の推計課税においては、これが全く把握されていない。

(3)  被控訴人の本件各係争年度における主たる事業は、かつて経験のない海面の埋立工事であつたため、山土等の原材料を購入するに当つても、必要の都度、必要な限度で購入すればよいというものではなく、土質の検査、工事現場との距離、採取の難易、売主の希望等で、大量に、場合によつては底地のまま買入れなければならず、それも地主の有力者に大金を預託して全面的に交渉権を委ねるというものであつた。また、被控訴人は、昭和三七年七月以降も同規模程度の埋立工事を請負うことができると考えており、建設機械、車両運搬具等も必要な都度購入し、短期間に資産の著しい増加を来たしたが、反面、負債においては、相当の借入等をせざるを得なかつた。しかるに控訴人は、このような特殊事情を考慮せず、借入金等の債務の存在を軽視する等して、真実の所得金額に近似した数値を客観的に把握できなかつたものである。

(二)  実額の主張と立証責任について

所得額の認定は、可能な限り実額によるべきであり、推計課税が合理的であつても、納税者の実額の主張が認められ、その主張、立証責任は納税者が負うとするのが、学説判例の通説である。控訴人はこの点に関連し、納税者は、「合理的な疑いを容れない程度」にまで立証を尽くすべきである旨主張するが、民事(行政)訴訟においては、一般に「証拠の優勢(優越)」で足りるのである。換言すれば、実額課税も推計課税も客観的に存在する所得を認識するための差にすぎないのであるから、その存在をある程度合理的に推測させるに足りる具体的立証まで行えばよいのである。そうでないと、対等な当事者間の民事(行政)訴訟では、立証責任を負担する者に不利益となりすぎる。

ところで、立証責任は、その事実の存否不明のときに、いずれか一方の当事者がその事実を要件とした自己に有利な法律効果の発生が認められないことになる危険または不利益を負担することであるが、実務ではそれ以前において、どの程度の立証によつて事実を認定されるかが重要である。原判決が被控訴人及び控訴人が提出した一切の証拠資料及び弁論の全趣旨に基づき、収支計算に基づく実額を認定して、被控訴人の請求を容認したのはきわめて正当である。

(三)  本件明細書の信用性について

(1)  被控訴人は、本件各係争年度において、かなり膨大な量の手形・小切手控、人夫の判取帳等の資料を保管し、また、経理担当者が日々の売上げ及び仕入れ等の経理関係の事項をメモしたノートを作成していた。すなわち、被控訴人の経理については、山本久雄が主として売上げ関係を、被控訴人の妻藤岡彰子が支払関係をそれぞれ担当しており、売上げについては、請求書、領収証控、納品書控、入金伝票等の原始資料、支払については、手形・小切手控、出金伝票、領収証、判取帳、事故の示談書、建設機械等の契約書等の原始資料がいずれも保管されていた。そして、売上げについては主として右山本が取引先別、現場別の取引額と集金状況を日々克明にノートに記帳し、経費については主として妻彰子が同様にノートに記帳していた。なお、右彰子は子供が小さかつたこともあつて、岩本新二を補助に使用し、同人が被控訴人から手形・小切手帳、実印等を預かつて支払関係の仕事をしていたにすぎない。このような帳簿に準ずる収支のノートがないと、かなり膨大な取引先との日常の集金や支払、事業資金の調達等ができる筈がない。

(2)  本件明細書は、本件各処分の通知を受けた昭和三九年二月一三日から異議申立をなした同年三月一〇日までの間に、高部税理士の指導のもとで、右彰子が山本の協力を得て、前記原始資料、ノート、銀行のマイクロフイルム等に基づいて、作成したものである。

控訴人は、この点に関し、売上げについては計上洩れ、経費については過大計上等があると主張するが、そのようなことは、控訴人の反面調査が既になされており、さらにその後もなされることが予想されるのであるから、きわめて困難なことであり、ましてや僅か二五日間位の短期間にそのような作業が可能とは到底考えられない。現に売上げについては、本件明細書の多くの取引先の取引額と控訴人の反面調査は一致しているし、小額の取引についても細大洩らさず記帳されており、計上洩れは存在しないし、経費についても、多くの取引先の取引額が右同様一致しており、計上時期と方法の相違によるもの以外に、過大計上等はない。本件明細書は正式の会計帳簿とはいえないとしても、これに準ずるものとして、十分信用できるものである。

控訴人は、事業所得金額を実額で認定するためには、単に帳簿書類が存在するというだけでは足らず、その記帳の基となつた原始記録が保存され、そして、その原始記録との照合、確認によつて帳簿書類の正確性が具体的に検証されなければならないと主張するが、右ノートは山本作成のものは得意先元帳等に準じたもの、彰子作成のものは仕入帳等に準じたものであつて、その記帳は正確であつたのであり、被控訴人は、それ以外にも、本訴において必要があると思料される原始資料はすべて提出している。控訴人引用の判例は、きわめて小規模な事業に関するものであり、しかも原始資料の保管及び記帳等に欠陥のあるものであつて、本件に適切でない。

(四)  ノートの紛失について

(1)  原判決認定のとおり、被控訴人の日々の経理関係の事項がメモされた経理担当者作成のノートは、昭和四二年控訴人による別件税務調査の際紛失したものである。直截にいえば、堺税務署法人税課の税務職員稲田喜作は、昭和四二年四月三日から五日までの間、他の職員一名と別件税務調査を担当したが、その際被控訴人に無断で、被控訴人が社長室の机の中に保管していた私物等を預かると称して、右ノート(山本作成の昭和三一年から昭和三七年までの売上ノート二、三冊、彰子作成の昭和三〇年から昭和三六、七年ころまでの仕入ノート三、四冊以上)及び株式会社藤岡組の大阪府企業局に対する昭和四二年度の入札見積書等を他の書類とともに持出してこれを返還せず、故意または重大な過失により紛失せしめたものである。

(2)  右稲田は、この点につき種々弁解し、〈1〉同年四月三日書類を預かる際、立会つていた高部税理士事務所の事務員に了解を得て預かり、翌四日も同事務員に同様の了解を得た、〈2〉調査に必要だつたのは、株式会社藤岡組の銀行勘定帳だけで、他の書類は被控訴人に三日の朝会つた際、預かるといつていたので念のため預かつただけである、〈3〉預かつたのは株式会社藤岡組の書類だけである、〈4〉五日に私服警官が出動してきたのは選挙用葉書を稲田が持ち出したと通報したからである、〈5〉預り証のうち〈26〉のコクヨ便箋以外は全部返還したと証言しているが、高部税理士事務所の事務員藤井伊兵衛は、警官が出動した日(同月五日)以外は立会つておらず、税務調査をしている職員が不必要な書類を預かるということはそもそも考えられないうえ、本来の意味での銀行勘定帳であれば、それは銀行の反面調査で充分把握できるので、税務調査時にそれを預かることはない。稲田は専ら社長個人の私物のみに興味を示し、他の職員が事務室で法人の帳簿を調査しているにもかかわらず、被控訴人の机の引出し等に入つていた書類の提示を求めているが、預り証の〈8〉と〈18〉以外の書類は私物である。私服警官が急拠出動するのは相当大きな問題が発生しなければ考えられず、候補者や選挙事務所でもない一選挙人用の選挙葉書の紛失または盗難ではあり得ない。警官がなしたチエツクにより、銀行勘定帳及びそれ以外の書類の返還がなされなかつたことが明らかである。

(3)  被控訴人が警官の出動を要請した直接の原因は、前記入札見積書等が紛失したためである。また、通常の税務調査において書類を預かる時に発行する頂り証は、事業主またはそれに代るべき者の立会のもと、預かるべき書類をその作成者、宛先、日付、金額、取引内容等できるだけ特定し、預主が署名捺印すべきものであり、書類返還時にその返還を受けるものである。ところが稲田作成の預り証は、書類の特定が全くなされていないし、捺印もなく、通し番号を誤り、No. 1の方は複写でNo. 2の方は複写でないものになつている。これらの点からすると、稲田は職務柄本件提訴の事情を知り、何らかの底意をもつて専ら被控訴人の私物、とくに本件各係争年分の書類の調査、収集を目論んでいたとしか考えられず、警官の出動を知り、弁解用に急拠預り証を作成したものとしか考えられない。

(五)  証明妨害について

民訴法三一七条の使用妨害の目的とは、訴訟上書証として用いることを妨害する意図があればよく、特定人を相手方と意識したり、妨害の目的が具体的であることは必要でなく、当該文書が存在しては相手方に利用され、自己に不利益になるかも知れないと考える程度で足りることは、学説、判例の通説である。

証明妨害の問題は、裁判における事実資料提供の問題であり、原則として、当事者の関係に関する事柄であるが、当事者が相手方の立証を妨害することは、一般的には相手方の立証に協力する義務はないにしても、信義誠実の原則に反するものとして許さるべきでない。

したがつて、裁判所は、既に他の証拠や弁論の全趣旨から得られた自由心証に加えて、信義則の適用として、その裁量で、妨害の態様、帰責の程度、妨害された証拠の重要度等から、妨害に対するサンクシヨンを勘案すればよいのである。原判決が右ノートが控訴人の別件税務調査の際紛失したのであるから、右ノートの不提出の不利益を被控訴人に負担させることは酷であると判示したのはきわめて正当である。

(六)  借入金について

被控訴人は、従前から主張するとおり、控訴人主張の借入金のほか、被控訴人の知人、親戚から借入をしたものである。右借入金については借用証等は存在しないが、代物弁済等の処置が講じられていて外形的に立証されているし、借用証の不存在や無利息、無担保であつたことは、被控訴人と貸主との個人的関係によるものにすぎない。

新木政太郎は、代物弁済で取得した戎島東の土地上の倉庫を藤栄建設株式会社に賃貸しており、石井秋平は、代物弁済により取得した北島町の土地ほか七筆を藤岡茂に売却し、同人は右各土地を株式会社藤岡組に賃貸しており、藤岡岩雄は代物弁済で取得した狭山町の土地一〇筆の全部もしくは一部を鳩タクシー株式会社、南海電気鉄道株式会社に売却している。

控訴人は貸主がいずれも被控訴人の親しい友人、親戚であり、これらの者の本件各係争年度における所得が少いことなどを理由に、右借入金の存在を否定するが、被控訴人が右年度に事業規模を著しく拡大した資金は、事業所得によるものではなく、知人、親戚からの借入金により賄われていたのである。

3  証拠関係〈省略〉

理由

一  請求の原因一及び二の各事実は当事者間に争いがなく、原審における被控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、被控訴人は、土建材料等の販売のほか、昭和三四年一一月ころから八幡製鉄株式会社(現在新日鉄株式会社)の堺臨海工業地帯の埋立工事のうち、盛土工事を下請けし、本件各係争年である昭和三五年及び昭和三六年には、多数の土木建設機械、運搬用車両を所有し、多数の従業員を雇用して主として右下請工事をその事業内容としていたこと、被控訴人は、右各係争年分の所得税につき、(被告の主張)一の本件各処分の経過中の「確定申告額及び本件処分額表」申告額欄記載の内容の確定申告書(課税標準たる総所得金額は、昭和三五年分につき七六万八〇〇〇円、昭和三六年分につき一〇〇万円)をそれぞれ控訴人に対し提出したところ、控訴人は、その調査したところに基づき、同表処分額欄記載の各金額(総所得金額は、昭和三五年分につき九〇九万四九二二円、昭和三六年分につき二九九四万九八六四円)を認定したうえ、本件各処分に及んだことが認められ、これに反する証拠はない。

二  本件各処分の適法性について

1  控訴人が本件各係争年の被控訴人の所得につき推計課税を行つたことは当事者間に争いがなく、原審証人西村皓吉、同高部博至、同藤岡彰子の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果(後記認定に反する部分を除く。)によると、

(一)  控訴人は、昭和三八年一二月ころ被控訴人の本件各係争年分及び昭和三七年分の各所得について、申告された売上金額に脱漏があることを察知し、被控訴人を所得調査の対象に選定し、大阪国税局の特別調査班の応援を得て、控訴人の部下職員をして被控訴人の営業所へ数回臨場させて被控訴人の税務調査をさせたこと

(二)  右税務調査の際、被控訴人は、本件各係争年の被控訴人の営業に関して、正式の帳簿類は備付けていなかつたものの、石炭箱に収納された可成りの量の手形・小切手控、人夫の判取り帳等の直接資料を保管していたにもかかわらず、税務職員に対し右資料の提示を行わず、質問、調査に対しても、昭和三七年三月の納税申告の際控訴人に預けたまま返却されていない書類がある筈であるから、それを見ればわかるなどと称して、営業に関する説明は殆んどなさず、きわめて非協力的であり、最終の段階に至つてわずかに経費の一部についてのメモ書きを示し、借入金が多いとしてその借入先を二、三説明したに止つたこと

(三)  その結果、控訴人は、被控訴人の本件各係争年分の収入及び支出について、被控訴人の取引銀行、建設機械、運搬用車両の購入先、借入金の借入先などを反面調査したが、その取引先の数がきわめて多く把握することができた取引先においても、その事業所が移転していたり、帳簿に記帳していなかつたりして、取引の有無やその取引金額を確認できない場合などが存し、被控訴人の責に帰すべき事由によつてその実額を把握することができなかつたため、やむなくその調査したところに基づき被控訴人の本件各係争年分に関連する資産、負債の状況からその所得を推計して本件各処分をするに至つたこと

が認められ、右認定に反する前記被控訴人本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らし措信しがたく、他に叙上認定を動かすに足りる証拠はない。右事実によれば、本件各処分時において、被控訴人の所得の実額による算定が不可能であつたことは明らかであるから、推計によりこれを算出する必要性があつたものといわなければならない。

2  控訴人が採用した推計方法は期末の純資産(資産から負債を控除したもの)から期首の純資産を差引いて得られる当該期間中の純資産増加額に、その期間中における生計費その他の利益処分である消費支出額を加算するいわゆる純資産増減法であるが、このような方法で算定された純資産増加額に相当する所得は、その年度に発生しているのが通例であるという経験則を基礎としているものであり、しかもこの経験則は合理的な根拠をもつているものと考えられ、期間中の取引の内容が不明確であつても、期首及び期末の資産、負債の額が判明し、純資産増加額が立証されさえすれば、右の合理的経験則が働き、これに相当する所得があつたと推認されることになるわけであり、間接事実から端的に所得を推計する一つの方法として承認されたものであつて、他により合理的な推計方法の存することが認められない限り、妥当なものとしてその合理性を承認すべきである。

3  ところで、被控訴人は、推計課税による本件各処分に対して、本訴において実額によつて被控訴人の本件各係争年分の所得を認定すべきであると主張する。

(一)  推計課税取消訴訟における実額の主張、すなわち、いわゆる実額反証とは、原処分時において納税者が実額を算定するに足りる帳簿書類等の直接資料を提出せず、税務調査に協力しないため、やむを得ずなされた推計課税に対し、審査請求時または訴訟の段階になつて実額によつて所得を認定すべきであると主張し、推計によつて算定された所得金額が実額に比べて過大であるとして、その推計課税の違法性を主張することをいい、その適否については見解の岐れるところであつて、原処分時において推計の必要性が存在すれば、後にこれが欠けることとなつても、その推計方法が合理的である限り、これによつて把握された所得金額を実額の主張によつては崩し得ないとする見解や、納税者が調査に協力せず、課税庁をしてやむなく推計課税をせざるを得ない事態に追い込んでおきながら、実額の主張をするのは信義則に反し許されないとの見解もある。しかし納税者の態度が著しく公正、妥当を欠き推計課税取消訴訟における実額の主張が訴訟法上信義則に反すると認められる場合は別論として、そうでない場合には、実額課税、推計課税といつても、それぞれ独立した二つの課税方法があるわけではなく、両者の違いは、原処分時に客観的に存在した納税者の所得額(以下「真実の所得額」という。)を把握するための方法が、前者は伝票類や帳簿書類などの直接資料によるのに対し、後者はそれ以外の間接的な資料によるという点にあるにすぎず、いずれにせよ、最終的に問題となるのは、真実の所得額がいくらであるかということであるから、納税者の実額の主張は、それが真実の所得額に合致すると認められる限りは許さざるを得ないと解するのが相当である。

すなわち推計課税は、納税者が実額を算定するに足りる帳簿書類などの直接資料を提出せず税務調査に協力しないため、やむを得ず真実の所得額に近似した額を間接資料により推計し、これをもつて真実の所得額と認定する方法であり、実額課税と同様に真実の所得額を認定するための一つの方法であつて、課税庁において右推計課税の合理性につき立証をした場合には、特段の反証のない限り、右推計課税の方法により算定された額をもつて真実の所得額であると認定するのである。そして納税者が推計課税取消訴訟において所得の実額を主張し、推計課税の方法により認定された額が右実額と異なるとして推計課税の違法性を立証するためには、その主張する実額が真実の所得額に合致することを合理的疑いを容れない程度に立証する必要があると解すべきであつて、右実額の存在をある程度合理的に推測させるに足りる具体的事実を立証すれば足りると解すべきものではない。けだし、申告[税制度のもとにおける納税者は、税法の定めるところに従つた正しい申告をする義務を負うとともに、その申告を確認するための税務調査に対しては、所得金額の計算の基となる経済取引の実態を最もよく知つている者として、その所得金額を算定するに足りる直接資料を提示し、その申告の内容が正しいことを税務職員に説明する義務を負うものといわなければならないのであつて、申告納税義務に違反して直接資料を提出せず、調査に協力しないために、やむを得ず課税庁をして推計課税を余儀なくさせた納税者が実額反証を許される結果、申告納税義務を遵守する誠実な納税者よりも利益を得るような事態を生ぜしめるべきでないことは当然であるばかりでなく、納税者の実額反証後に実施される課税庁の反面調査、証拠の収集は、確認すべき個々の経済取引がなされてから相当の年月を経過してなされるため、関係資料の保存期間の経過や取引関係者の転出、所在不明などによつて限界があり、著しく困難であるのに反し、実額反証を主張する納税者は、もともと経済取引の当事者であつて、自己に有利な証拠を提出するのは容易であり、対等な立場にないからであつて、かかる納税者に右のような立証責任を負担させても酷であるとはいえない。

(二)  本件についてみるに、成立に争いのない甲第四ないし七号証、乙第四一号証の一ないし六、第六二ないし六四号証の各一、二、原審証人金田誠(第二回)の証言により成立を認めうる乙第五〇号証の一、二、同証言(第一、二回)と弁論の全趣旨によると、被控訴人は、本件各処分についての異議申立書に別紙として税理士高部周史作成の収支計算書及び取引先別売買明細表を添付したが、これには主要な売上先、仕入先の住所(所在地)、氏名(名称)、売上、仕入金額を表示したにとどまり、その他として、かなりの売上先、仕入先の売上、仕入金額が一括して計上されていること、また、審査請求書に別紙として収支計算書のほか、いかなる書類を添付したかは明らかでないが、おそくとも昭和四〇年七月ころまでに、収支メモのコピー(売上については、乙第四一号証の一ないし六と同一であるが、仕入については後記甲第八号証の一ないし二〇と同一であるかどうかは明らかでなく、いずれも月別、取引先別の取引額を記載した一覧表形式のもので、住所(所在地)の記載はない。)を提出したこと、被控訴人は、審査請求段階の調査に際しては、訴訟をするからと称して一切協力せず、取引先の住所(所在地)などを明らかにするよう求めた大阪国税局協議団からの照会に対しても回答しなかつたのみでなく、右収支メモのコピーを提出したものの、収支計算書の基礎となる伝票、帳簿書類などの直接資料を一切提出しなかつたこと、このため右協議団は住所の判明した取引先に照会して回答を求めるなどして調査したが、被控訴人の所得金額を実額によつて算定することはできないと判断し、資産、負債の増減によつてこれを算出してその額が原処分を上廻るものと議決し、大阪国税局長は昭和四一年六月二〇日本件各処分に対する審査請求について、前記争いのない請求棄却の裁決をしたこと、被控訴人はこれに対し同年九月九日本件各処分の取消を求めて本訴を提起したが、昭和四七年六月一三日の第三〇回口頭弁論期日までの間(約六年間)は、本件各処分における推計課税(純資産増減法)の適法性、とくに被控訴人の資産として控訴人が主張するもの以外に被控訴人主張の預託金などが存在するか否か、負債として控訴人が主張する借入金以外に被控訴人主張の親戚、知人からの借入金が存在するか否かなどが、主要な争点として、もつぱら主張され、これらの点を立証するための証人申請がなされたこと、ところが、被控訴人は、同年九月一九日付準備書面(別表第一ないし第一〇を添付)を提出して、はじめて被控訴人の所得金額を実額によつて認定すべきであるとし、いわゆる実額反証の方向に転じ、同年一二月一二日の第三二回口頭弁論期日において右準備書面を陳述するとともにその証拠として売上原価明細(甲第八号証の一ないし二〇)を提出し、その後昭和五三年一一月九日の第四九回口頭弁論期日において売上明細、給料明細、貸倒金、事故賠償金明細など(甲第九ないし一八号証)を提出し、さらに若干の領収証等の基礎資料を提出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定のような経過に照らすと、被控訴人の態度は公正、妥当なものではないが、実額の主張自体は許されないものではなく、問題は、被控訴人が提出した右売上原価明細、売上明細など(以下「本件明細書」という。)及びその他の資料に基づいて、果して被控訴人主張の実額が真実の所得額に合致すると認められるか否かであるといわなければならない。

4  被控訴人は、経理担当者が日々の売上及び仕入等の経理関係の事項をメモしたノートを作成しており、被控訴人の妻藤岡彰子が右ノート(ただし、昭和四二年四月控訴人の部下職員によつて紛失せしめられ現存しない。)と手形・小切手控、請求書等に基づいて本件明細書を作成したが、これは信用に値するものであつて、実額認定の資料として十分に使用に耐え得るものであると主張するから、以下順次検討する。

(一)  本件ノートの存在及びその紛失の有無について

被控訴人は、被控訴人の経理事務について、売上関係は主として山本久雄が担当し、取引先別、現場別の取引額と集金状況を日々克明にノートに記帳し、支払関係は主として妻彰子が担当し、同様ノートに記帳しており、右売上、仕入ノートは帳簿に準ずるものであつたところ、右ノート(最終段階では山本作成の昭和三一年から昭和三七年までの売上ノート二、三冊、彰子作成の昭和三〇年から昭和三六、三七年ころまでの仕入ノート三、四冊以上と主張)は、昭和四二年四月三日から五日までの間になされた控訴人の別件税務調査の際、税務職員稲田喜作によつて、被控訴人に無断で、株式会社藤岡組の大阪府企業局に対する入札関係の書類とともに持出され、紛失せしめられたと主張し、原審証人藤岡彰子の証言の一部、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果は、これに副うもののごとくである。

しかしながら、右彰子は、原審において、昭和三五年、昭和三六年当時被控訴人の営業について、「事務一般、会計経理から雑役までやつており、帳簿をつけていた。」、「私が昭和三四、三五年の分をノートにした一つ帳面というのがあつた。」、「お金払つたといつたら何でもかんでも支払つたのを日記程度に毎日毎日書いているノートを持つていた。ノートには小切手・手形で払つたものも〈商〉として書いている。」、「ノートのことを税務署の人に話さなかつたのは私の日誌ですから。」、「売上明細(甲第九号証)はノートにしていた毎月々の控から拾い上げた。」などと証言しており、彰子作成の仕入ノートの存在は認められるものの、その作成方法、記載内容は明確でないうえ、とくに日記程度のものであることを強調していることからすると、右ノートは帳簿に準ずるようなきつちりした帳面ではなく、税務職員に提示することが憚られるノートであつたとみるのが相当である(この点は原審における被控訴人本人の当初の供述とも一致する。)。

また、被控訴人は、ノートの作成のことに関し、原審において、当初は、経理は妻彰子が簡単な帳面をつけているくらいのことであつたと供述していたが、その後、山本という事務員が黒い表紙の分厚いノート一、二冊に売上及び支払関係の事項を記帳しており、本件明細書のうち売上明細は右ノートを基にして作成した旨供述を変更し、さらに、当審において、山本は主として売上を記帳し、彰子は経費関係をつけていた旨再度供述を変更しており、また、ノートの紛失のことに関し、原審において、当初は、昭和三七年三月の申告相談の際(昭和三六年度の所得税の確定申告時)売上ノートと仕入ノートの二冊を税務署に預けたが返却されなかつたと供述(右供述どおりとすれば本件明細書作成当時にはノートが手元になかつたことになり、右彰子の証言と矛盾する。)しながら、その後証拠調の最終段階に至つて、右申告相談の際に預けたのは、山本作成のノートのうち、昭和三六年分を帳面一冊に書き写したもので、右ノートの原本は手元に残つていたが、別件税務調査の際に税務職員稲田が山本ノート二冊を持帰り返却しなかつた旨供述を変更し、さらに、当審において、前記申告相談の際預けたのは、山本が記帳していた山本ノートと彰子が記帳していた彰子ノートの両方から昭和三六年分を書き写したものであり、別件税務調査の際稲田が持帰つた預り証記載の「銀行勘定一冊」は、実際には山本が記帳していた山本ノートであり、鍵のかかつた机の引出しの中に入れてあつたものであると供述し、さらに控訴人指定代理人からの追及により、稲田が持帰つたまま返却しなかつたのは、山本ノートだけでなく彰子ノートも含まれていた旨再度供述を変更するに至つたものである。

このように、被控訴人の一連の供述は、本件ノートの作成者、作成内容、冊数、その紛失の対象物、冊数、紛失の時期、態様など、基本的かつ重要な事項について著しく変遷していて一貫性を欠いているうえ、その供述内容もきわめて不明確で、不自然な点が多いばかりでなく、山本が売上ノートを作成していたとの点については、前記証人藤岡彰子の証言中に何らこれを窺わせるような証言部分がないこと、真実山本が売上ノートを記帳していたとすれば、被控訴人において、山本を証人として申請するのが当然であると思われるのに、全く申請した形跡がないこと、また、ノートの紛失についても、前記証人藤岡彰子の証言中には、申告相談の際一部資料が紛失したと聞いた旨の証言部分はあるものの、別件税務調査の際にノートが紛失した旨の証言部分はないことなどを併せて考察すると、到底措信することができない。かえつて、成立に争いのない甲第三四号証(チエツク部分を除く。)と当審証人稲田喜作の証言によると、稲田は昭和四二年四月三日株式会社藤間組に対する別件税務調査のため同会社事務所に臨場し、代表者である被控訴人から必要な帳簿書類や社長室の机の中の資料の提示を受けて調査を開始したが、被控訴人が中途で外出したため、結局のところ高部税理士事務所の事務員の立会のもとに調査を続行し、同日の調査終了後被控訴人の了解を取りつけていた社長室の机の中の資料及び同事務員の了解を得た同会社の銀行勘定帳一冊を堺税務署に持帰つて調査することとし、これらの書類を預かる旨の預り証を作成して同事務員に交付し、これらを風呂敷に包んで持帰つたこと、稲田は翌四日預かつた書類を持参して同事務所に臨場し、引きつづいて調査を続行したが、被控訴人不在のため同日の調査終了後、預かつた書類について、預り証と照合してそのすべての書類があることの確認をすることなく、これをそのまま持帰つたこと、ところが稲田は翌五日被控訴人からの電話で、書類(選挙用葉書であるか入札関係の書類であるかは必ずしも明らかでない。)が紛失した旨の抗議を受けたので、持帰つた書類を預り証(控)によつて照合したところ、コクヨ便箋のメモ一枚が見当らなかつたこと、稲田は同日同事務所に臨場したところ、被控訴人からの通報で出動してきていた私服警官二名から書類の紛失について説明を求められたため、その身分を明らかにしたうえ、預り証記載の書類以外のものは預かつておらず、これと無関係な右書類の紛失には関知しないことを説明して了解を得たこと、稲田は同日被控訴人に対し預かつた書類を一点一点預り証(控)と照合しながら返却したが、被控訴人は前記コクヨ便箋のメモ一枚がなかつたことを口実にして、預り証(原本)の返却を拒否したこと、稲田は本件ノートなるものを持帰つてはいないことをいずれも認めることができる。

被控訴人は、以上の点に関し、るる主張し、まず、別件税務調査の際高部税理士事務所の事務員藤井伊兵衛は警官が出動した日(同月五日)以外には立会つていないから、稲田が同月三日同事務所の事務員の立会を得て調査し、同事務員に預り証を交付して書類を預かることなどあり得ないと主張する。なるほど、右藤井は、当審において、「高部から指示されて株式会社藤岡組の税務調査に立会つたが、その日に警官が来られていて、何かごたごたがあつたという印象が残つている。立会つたのは一日だけの記憶しかない。」と証言している。しかしながら、右藤井は、また、「同事務所では顧問先の会社の税務調査には必ず誰か(税理士または事務員)を派遣して立会うようにしていた。」、「警官が出動した日以外の日に立会つたかどうか記憶がはつきりしない。自信がない。」とも証言しているのであつて、一六年以前のことについて記憶が明確でないのは当然であり、明確に立会つていないと断言しているわけではないから、他に特段の事情の認められない限り、右藤井または他の同事務所の事務員が立会つたものというべきである。

次に、被控訴人は、預り証記載の「銀行勘定一冊」は実際には本件ノートであり、本来の意味での銀行勘定帳であれば、それは銀行の反面調査で充分把握できるので、税務調査時にそれを預かることはあり得ないと主張する。しかしながら、預り証に「売上帳」「仕入帳」などの記載があつたのであればともかく、「銀行勘定一冊」が本件ノートであるというのは全くのこじつけというほかなく、しかも本件ノートは被控訴人の主張によれば少くとも五冊ないし七冊あつたというのであるからなおさらである。なお、銀行の反面調査は、銀行勘定帳の会計処理が正当か否かを確認するものであつて、銀行の反面調査ができるからといつて銀行勘定帳の調査が不要となるものではない。預り証記載の「銀行勘定一冊」は、株式会社藤岡組の昭和四一年一二月期の事業年度における本来の意味での銀行勘定に関する帳簿書類であるというべきである。

さらに、被控訴人は、稲田は別件税務調査において、職務柄本件提訴の事情を知り、何らかの底意をもつて専ら同会社の代表者である被控訴人の私物のみに興味を示し、被控訴人の机の引出しに入つていた私物、とくに本件各係争年分の書類の調査、収集を目論んでいたとしか考えられないと主張するが、右机の引出に入つていた書類が同会社の書類でなく、預り証記載の〈8〉と〈18〉を除いてすべて私物であるとの点については、原審及び当審における被控訴人本人の供述以外にこれを認めるに足りる証拠はなく、右本人の供述は前記証人稲田喜作の証言に照らし措信することができず、また、稲田が被控訴人主張のような意図をもつていたとの点についてはこれを認めるに足りる証拠はない。なお、若干補足するに、前記証人稲田喜作の証言によると、別件税務調査は、もともと同会社の昭和四一年一二月期分の事業年度において、賢明学院から同会社に対し多額の工事代金が支払われているとの情報を得ていた控訴人が稲田らに指示して実施することとなつたものであつて、同会社の帳簿にこのことが正しく記帳されているかどうかを調査することにその目的があつたこと、稲田は当時堺税務署に勤務していたとはいえ、法人税部門の調査官であつて、被控訴人提訴の本件訴訟については全く知らされておらず、もとより担当外であつたことが認められ、このような情勢のもとにおいて、稲田が右調査にあたり、同会社の営業に関する重要書類が鍵のかかつた社長室の机の引出しの中に保管されていると考え、その提示を求めるのは当然であり、これと無関係な資料(被控訴人のいう私物)の提示を求めることなど考えられず、被控訴人が四年ないし五年も以前の個人営業当時である本件各係争年の営業に関する資料を、しかも本件訴訟が係属中であるにもかかわらず、顧問である高部税理士または訴訟代理人に渡すことなく、あるいはその返還を受けて、右机の引出しの中に保管していることこそ、きわめて不自然であるというほかはない。

なお、被控訴人は、私服警官が急拠出動するのは、相当大きな問題が発生した場合でなければ考えられず、候補者や選挙事務所でもない一選挙人用の選挙葉書の紛失または盗難ではあり得ない旨及び警官がなしたチエツクにより銀行勘定帳(本件ノート)が返還されなかつたことは明らかである旨主張する。しかしながら、稲田は預り証記載の書類は、コクヨ便箋のメモ一枚を除いてすべて返却しており、それ以外のものは預かつておらず、また、預り証記載の「銀行勘定一冊」が本件ノートとはみられないことは前認定のとおりであつて、本件ノートの紛失、被控訴人が警官の出動を要請した直接の原因であると主張する入札関係の書類の紛失については、稲田の全く関知しないところであるから、紛失した書類が入札関係の書類、選挙葉書のいずれであるか、私服警官が出動するに至つた原因が何であるか、預り証のチエツクが警官によつてなされたか否かについては、叙上認定の結論に何らの影響を及ぼすものではなく、また、稲田が作成した預り証の体裁、記載内容、とくに預かつた書類の特定の点において、被控訴人が指摘するとおり、いささか不十分な点が認められるとしても、税務調査はもともと任意調査であつて、強制調査の場合とは異なり、預り証の作成にあたつてもある程度の簡略化は許されるものであるから、預り証自体に不備があるとまではいえず、その記載内容を無視することはできない。

以上認定の事実を総合すると、本件ノートのうち、彰子作成の仕入ノートが存在したことは認められるものの、山本作成の売上ノートが存在したか否かはきわめて疑問であるが、仮に存在したとしても、彰子作成の仕入ノートと同様、日々克明に記帳されていたとか、日々概ね忠実に記載されていたなどといえるものではなく、山本作成の売上ノートが得意先元帳等に準じたものであり、彰子作成の仕入ノートが仕入帳に準じたものであるとの点についてはもとより、右売上ノート、仕入ノートが別件税務調査の際、税務職員稲田喜作によつて被控訴人に無断で他の書類とともに持出されて返却されなかつたとの点については、これを認めることができない。

そうすると、被控訴人は、本訴提起後も本件ノートを所持しながらこれを提出せず、あるいは本件ノートを自己の不注意により紛失もしくは廃棄し、これを提出できなかつたことになるが、その不提出の不利益を回避しその責任を控訴人側に転嫁すべく、本件ノートが税務職員によつて持出され紛失せしめられたごとく工作したものといわなければならない。そして、本件ノートが控訴人による別件税務調査の際に紛失せしめられたものと認められない以上、証明妨害の問題は生ぜず、ノート不提出の不利益は当然に被控訴人において負担すべきである。

(二)  本件明細書の信用性について

被控訴人は、本件明細書は本件各処分の通知を受けた昭和三九年二月一三日から異議申立をなした同年三月一〇日まで(約一か月)の間に、高部税理士の指導のもとに彰子が山本の協力を得て、本件ノート、請求書、手形・小切手控、伝票などの原始資料、銀行のマイクロフイルム等に基づいて作成したものであると主張し、前記証人藤岡彰子の証言はこれに副うものである。

しかしながら、本件明細書の基礎となつた本件ノートが日々取引の経過を概ね忠実に記載され、得意先元帳、仕入帳等に準じたものでないことは前認定のとおりであり、同証言及びこれによつて成立を認めうる甲第八号証の一ないし二〇、第九号証、第一一ないし一四号証、第一六ないし一九号証、原審証人高部博至の証言及びこれによつて成立を認めうる甲第一〇号証、第一五号証によると、本件明細書は、取引先別、月別に一か月分ごとの取引額を一括して計上した一覧表形式のものであつて、日々の取引の経過や各勘定科目の相互の関係が把握できるような記載形式を整えているものではないこと、本件明細書の作成について関与した高部税理士は、伝票などの原始資料がかなり乱雑に、未整理のまま石炭箱に収納されていたことを見てはいるものの、これを取出して確認しているわけではなく、伝票などの原始資料と本件明細書との照合は全くしておらず、本件ノートを見たかどうかも記憶していないこと、そして、収支計算の基礎となる数字そのものの整理は専ら彰子において行い、高部は収支計算書を作成するにあたつて科目の整理を行つたにすぎず、基礎的な数字の集計についての指導の内容については、取引先別、月別に各項目の集計をするよう指示しただけで、原始資料や取引銀行、取引先での確認に基づいて基礎的な数字を計上しなければならない旨の指示をしていないこと、また、高部は科目の整理を行うに際しても原始資料と本件明細書との照合、原始資料の点検は全くしていないことを認めることができ、右認定に反する前記証人藤岡彰子の証言は措信しがたく、他に右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によると、本件明細書は原始資料に基づいて日々の取引の結果を正確に記載したものであるとの保証は全く存しないのみでなく、その作成の過程において売上の除外、架空経費の計上などといつた人為操作の入り込む余地のあることは否定できず、正式の帳簿に準ずるものとみることはできない。そうすると、本件明細書は、これに記載された取引以外の取引が存しないことはもとより、これに記載された取引が存することをも証明するものではないといわなければならず、日々の取引を正確に記帳した伝票類、帳簿書類などの原始資料によつて客観的にその記載が裏付けられない以上、実額認定の資料とはなし得ないものというべきである。

もつとも、控訴人が本件訴訟において提出した夥しい照会回答書などの調査結果によると、被控訴人の取引先についての反面調査が審査請求の段階までに精力的に行われ、完了しているようにみられないではない。しかしながら、控訴人が昭和三八年一二月ころ行つた税務調査において、被控訴人の協力が得られなかつたため、被控訴人の取引銀行、取引先などを反面調査したがその取引先の数がきわめて多く、取引の有無や取引金額を確認できないものもあつてその実額を把握することができなかつたため、推計により本件各処分をしたこと、さらに、大阪国税局の協議団が被控訴人の審査請求に対し住所の判明した取引先に照会して回答を求めるなどして調査を続けたが、やはり被控訴人の所得金額を実額によつて算定することはできず、推計によりこれを算定するほかなかつたことは前認定のとおりであつて、このような調査経過に照らすと、いまだもつて控訴人側の調査が被控訴人の取引先につきほぼ克明かつ網羅的に行われたものとは認めることはできない。

また、控訴人側による被控訴人の取引関係についての調査結果中、本件明細書の記載と食い違いのある不一致部分が、計数的にみれば、同明細書記載の夥しい全取引数に占める割合は僅かであるようにみられないではないが、同明細書に記載された取引が真実行われた全取引であつて、それ以外の取引が存しないという保証はないのであるから、これが伝票などの原始資料によつて裏付けられない以上、右割合だけを捉えて、同明細書の信用性を部分的にせよ肯定する根拠とはなし得ない。

さらに、実額反証においては、前認定のとおり納税者である被控訴人において、所得金額を算定するに足りる伝票などの原始資料によつて、その主張する実額が真実の所得額と合致することを合理的疑いを容れない程度に立証しなければならないのであつて、課税庁である控訴人において被控訴人主張の取引の不存在を証明しなければならないものではない。したがつて、本件明細書記載の各取引中、控訴人から反対証拠が提出されている取引以外の各取引については、他に特段の事情が認められない限り、反証なきものとして、同明細書の記載に従う存在を肯認すべきであるとするのは、本末顛倒である。

そうすると、本件明細書については、その基礎となつたとされる本件ノートが提出されていないのみでなく、請求書、領収証控、手形・小切手控、入金・出金伝票などの原始資料によつて客観的にその記載が裏付けられていないから、実額認定の資料とはなし得ないというべきである。そして本件訴訟においては、被控訴人からその主張の所得額について、これが真実の所得額に合致すると認めるに足りる原始資料の提出がないことに帰するから、純資産増減法により被控訴人の所得額を推計するほかはない。

5  そこで、被控訴人の本件各係争年の資産及び負債について、以下順次検討する。

(一)  被控訴人の資産について

本件各係争年である昭和三五年期首、同期末(昭和三六年期首、以下同じ)、昭和三六年期末における被控訴人の資産のうち、原判決添付別紙(一)の「資産の部」の2当座預金、3普通預金、4定期預金、5積立預金、6通知預金、7受取手形、10貸付金、11建物、14備品及び16電話加入権の各科目が控訴人主張のとおりであることは当事者間に争いがないので、争いのある部分について検討する。

(1)  現金

控訴人は、昭和三五年期首、同期末、昭和三六年期末とも各五〇万円を計上しているところ、被控訴人は、これを否認し、各三〇〇万円が計上されるべきであると主張するが、原審証人藤岡彰子の証言によると、被控訴人の経費は僅か五〇〇円でも小切手で支払つていたことが認められ、被控訴人が各期末に三〇〇万円もの多額の現金を所持していたとは認めがたく、いずれにしても純資産増減法においては、これが本件各係争年中同額である以上純資産を増減させるものではないから、被控訴人の主張は採用しない。

(2)  売掛金

控訴人は、興亜コンクリート工業株式会社に対する売上金として、昭和三五年期末、昭和三六年期末とも各三〇〇万円を計上しているところ、被控訴人はこれを否認するが、原審証人石井秋平の証言によると、同会社(代表者石井秋平)は、当時なお建材の販売をしていた被控訴人から原材料として使用する川砂、砂利を購入しており、被控訴人は同会社に対し少くとも三〇〇万円の売掛金を有していたことが認められる。

もつとも、原審における被控訴人本人尋問の結果及びこれによつて成立を認めうる甲第三五号証の一、二によると、右石井は、その後同会社は本件係争年当時被控訴人との取引はなかつた旨の「証言内容一部訂正のお願い」と題する書面を提出し、被控訴人も原審においてこれに副う供述をし、同会社の仕入日記帳三冊によつて、右取引がなかつた事実を確認した旨供述しているが、右石井作成の書面は証言後二年以上も経過して作成され提出されたものであり、また、右仕入日記帳は、後に提出するものとして示されたにもかかわらず、結局のところ書証として提出されていないことなどを考慮すると、いかにも不自然であつて、右供述及び甲第三五号証の一、二の記載はたやすく措信することができず、他に以上の認定を動かすに足りる証拠はない。

(3)  原材料

(ア) 控訴人主張の原判決添付別紙(一)付3原材料明細Iの昭和三五年期首における1ないし11の山土(合計四〇万円)については当事者間に争いがないが、被控訴人はそれ以外に同明細Iの(12)ないし(18)の山土、砂利、川砂等(合計九二五万円)が存在し、これらを昭和三五年中にすべて売却し、同期末には存在しなかつた旨主張し、原審における被控訴人本人尋問の結果及びこれによつて成立を認めうる甲第二二号証の一ないし七はこれに副うものである。しかしながら、右本人尋問の結果は、山土等の存在を記憶の範囲でまとめたというものにすぎず、また、山土の領収証(甲第二二号証の一ないし七)についても、山土の所有者の発行にかかるものではなく、その仲介者である橋本猛の発行したものであつて、いずれも他に裏付となる証拠はないから、たやすく採用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(イ) 次に、被控訴人は、控訴人主張の同明細IIの昭和三五年期末における1ないし25の山土(合計一六九万円)についてはこれを認めるものの、その余の26ないし29の山土(合計八〇万円)の存在を否認するが、原審における被控訴人本人尋問の結果により成立を認めうる甲第一九号証の一、原審証人宮本益実の証言及びこれにより原本の存在と成立を認めうる乙第一五号証、同金田誠(第一回)の証言及びこれにより成立を認めうる乙第一九号証によれば、被控訴人は、昭和三五年中に谷野興一から山土を四〇万円で購入したほか、浦辻クニ、奥村保及び部落共有地の共有者からも山土を合計四〇万円で購入したこと、これらは同年中に採取していないことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(ウ) さらに、被控訴人は控訴人主張の同明細III の昭和三六年期末における山土(合計一六〇万円)については、これを認めるものの、前記谷野興一からの山土四〇万円及び和田藤作からの山土四万円の存在を否認するが、前掲乙第一五号証、前記証人金田誠の証言及びこれにより成立を認めうる乙第一四号証の二、第二二号証(官署作成部分については成立に争いがない。)、前記証人宮本益実の証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果によると、これらは同年中には採取されていないことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(4)  建設機械

(ア) 被控訴人は、控訴人主張の原判決添付別紙(一)付4建設機械明細Iのうち、1のバケツトコンベアの取得時期は昭和三四年一月、取得価額は二七五万円であつて、昭和三六年一二月五万円で処分した旨及び16のクラムシエルの同年期末の価額は九九一万〇六二五円である旨主張するが、これに副う原審における被控訴人本人尋問の結果は、いずれも被控訴人の記憶に基づくものであるというのであつて、他にこれを裏付ける証拠はなく、また、自動車販売会社である村岡自動車が建設機械であるバケツトコンベアを取扱うこと自体不自然であることを考慮すると、たやすく措信することができない。

(イ) 被控訴人は、また、控訴人主張の建設機械以外に同明細III の19ブルドーザー(小松)、20ブルドーザー(三菱)、21パワーシヨベル(日立)が存在していた旨主張し、被控訴人本人は原審においてこれらの機械を昭和三四年扶桑商工株式会社から取得し、本件各係争年中に修理代金の相殺として一台五〇万円で同会社に下取りしてもらつたと供述するが、右供述は、前同様、被控訴人の記憶に基づくものであるというのであつて、他にこれを裏付ける証拠はないばかりでなく、前記証人金田誠の証言及びこれにより成立を認めうる乙第五二号証、第六六号証と弁論の全趣旨によると、被控訴人は同会社(代表者淀野正一)から建設機械を購入していないこと、被控訴人主張の修繕費(甲第一〇号証、第一五号証参照)のうちに同会社分が計上されていないことが認められ、また、右機械の取得価額が二〇〇万円、四〇〇万円、五〇〇万円と大きく相異しているにもかかわらず、その下取価額がいずれも同額(五〇万円)であるというのも不自然であることを考慮すると、たやすく措信することができない。

そうすると、建設機械については控訴人主張のとおりであると認めるのが相当である。

(5)  車両運搬具

控訴人主張の原判決添付別紙(一)付5車両運搬具明細の1ないし44の車両については、12、13の車両の処分額(この点については後に判断する。)を除いて当事者間に争いがない。被控訴人は、右車両以外に、同明細の45小型三輪ダンプ(ダイハツ)、46小型四輪ダンプ(マツダ)、47大型トラツク(トヨタ)が存在していたと主張し、被控訴人本人は、原審において、右三台の車両は、前記興亜コンクリート工業株式会社名義で村岡自動車から取得したものであり、本件各係争年中もこれを同会社の製品の運搬に専属して使用していた旨供述するが、右供述は、被控訴人自身、前認定のとおり、本件各係争年当時同会社と取引はないと主張して争つていることと矛盾するばかりでなく、前記証人石井秋平の証言と対比して信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると、車両運搬具についても、控訴人主張のとおりであると認めるのが相当である。

(6)  土地

(ア) 被控訴人は、控訴人主張の原判決添付別紙(一)付6土地明細の14の土地は取得しておらず、2ないし13の土地の取得価額は合計三一一万六〇〇〇円でなく、六七〇万円と伐採人夫賃等五六万一一〇〇円を加えた合計七二六万一一〇〇円であり、株式会社大阪チエンブロツク製作所への処分価額一二〇一万〇六〇〇円との差額、四七四万九五〇〇円の譲渡益が発生したと主張し、原審における被控訴人本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第一九号証の二、第三八、三九号証はこれに副うものである。

しかしながら、14の土地を取得していないとの点については、成立に争いのない甲第二八号証の一、乙第八三号証によると、13、14の土地とも昭和三六年一〇月二五日、同月一六日売買を原因として同会社に所有権移転登記が経由されているから、被控訴人が高林忠次から13の土地と同様14の土地を取得し同会社に売却したもの(ただし、14の土地については中間省略登記)と推認することができ、また、2ないし13の土地及び14の土地の取得価額については、被控訴人の供述は、他方において右土地のうち昭和三五年期末において引続き所有する土地の価額を認めるなど矛盾する供述をしているのみでなく、預り金の支払明細(甲第一九号証の二)も尾崎好雄の作成にかかるものであつて、右高林作成の領収証など右取得価額を裏付けるに足りる証拠もないから、たやすく措信できない。

(イ) また、2ないし14の土地は整地によつて棚卸資産に転化し、その処分価額一二〇一万六〇〇〇円は全額事業所得の収入金額に算入されたものというべきである。なお、被控訴人は48、49の土地を五〇〇万円で取得していると主張するが、その取得価額が五〇〇万円であることについてはこれを認めるに足りる証拠はなく、いずれにしても右土地は本件各係争年中継続して被控訴人が所有しているのであるから、純資産額に増減はなく、所得金額に影響を及ぼさないものである。そうすると、土地についても、控訴人主張のとおりであると認めるのが相当である。

(7)  出資金

被控訴人は豊後砂利協同組合及び秋葉砂利株式会社に対する出資金が存在したと主張し、原審における被控訴人本人尋問の結果及びこれによつて成立を認めうる甲第二七号証の一ないし四はこれに副うものであるが、豊後砂利協同組合に対する出資金については裏付けとなる証拠がなく、仮に右各出資金が存在するとしても、被控訴人は本件各係争年中これを所有しているのであるから、純資産額を何ら増減させるものではなく、所得金額に影響を及ぼさないものである。

(8)  預託金

被控訴人は尾崎好雄に対し昭和三四年末狭山町の山土代金等として三三〇〇万円を預託し、右預託金は、昭和三五年期末には一八五〇万円、昭和三六年期末には九〇〇万円があつたと主張し、前掲甲第一九号証の一、二、原審における被控訴人本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第二〇号証の一、二はこれに副うものである。

しかしながら、前掲乙第一九号証、原審証人金田誠(第二回)の証言及びこれにより成立を認めうる乙第六八号証の一、二(官署作成部分については成立に争いがない。)によると、右尾崎は本件各係争年の期末において被控訴人に対して債権、債務が存しない旨回答していること、昭和三六年期末において九〇〇万円もの預託金が存するとすれば、被控訴人から借地料、人夫賃、山土代等(昭和三五年中に合計一二一万円、昭和三六年中に七二八万二〇〇〇円)の支払を受ける必要はないことが認められるうえ、三三〇〇万円もの大金を、山土等を購入しない以前に、しかも預り証も受取らずに預託するというようなことは、きわめて不自然であることを考慮すると、右供述は到底信用できず、右甲第一九、二〇号証の各一、二をもつてしても、右預託金の存在の事実を認めるに足りない。右預託金は架空のものというべきである。

(9)  架設材

被控訴人は、昭和三五年期首において架設材(アイビー用木材、四寸角の檜二間もの四本を組合わせてボルトで締めつけて一束としたもので、泥濘地において方向転換する建設機械、トラツクの下に敷くもの)六〇〇万円があつたと主張し、原審における被控訴人本人尋問の結果はこれに副うものであるが、右供述内容はきわめて不明確であるうえ、裏付けとなる証拠もなく、信用することができない。

(二)  被控訴人の負債について

本件各係争年である昭和三五年期首、同期末、昭和三六年期末における被控訴人の負債のうち、原判決添付別紙(一)の「負債の部」の20支払手形、21未払金、23割引手形の各科目が控訴人主張のとおりであることは争いがないので、争いのある22借入金について検討する。

控訴人主張の原判決添付別紙(一)付9借入金明細の1ないし6の金融機関からの借入金については当事者間に争いがないが、被控訴人は、これ以外に同明細の7ないし12の兄弟、親戚、知人からの借入金があつたと主張するので順次考察する。

(1)  藤岡岩雄からの借入金

被控訴人は、藤岡岩雄から昭和三五年期首において一八五万円の借入金があつたが、同年八月に一〇〇万円、昭和三六年一一月に一〇〇〇万円を借入れ、その返済として、和解調書を作成し、被控訴人所有の狭山町今熊五四〇番地山林一反三畝歩ほか一二筆の山林(以下「甲土地」という。)を代物弁済した旨及び右岩雄は右代物弁済で取得した甲土地の一部を鳩タクシー株式会社に、一部を南海電気鉄道株式会社に転売している旨主張し、原本の存在及び成立に争いのない甲第二号証、成立に争いのない甲第五六ないし六三号証、第六四号証の一、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第六五号証、原審証人藤岡岩雄の証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果はこれに副うものである。

ところで、前掲各証拠と前記乙第六三、六四号証の各一、成立に争いのない乙第一、二号証、第五号証、第八四号証の一ないし八、第一一四ないし一一六号証の各一、二によると、右岩雄は被控訴人の長兄であり、昭和三五年、昭和三六年当時農業を営んでいたが、低額所得者で、被控訴人主張のような多額の貸付資金を保有していたかどうか疑問であること、右和解は昭和四〇年三月二〇日成立し、被控訴人は、右岩雄に対し一四八五万円及びこれに対する同日以降の利息金の支払義務があることを認め、右債務を担保する目的で甲土地を譲渡し同月三一日限り所有権移転登記手続をする内容になつているところ、甲土地のうち、今熊五四〇番地の山林については、被控訴人から右岩雄に対し、代物弁済その他何らの登記もなされておらず、その余の山林一二筆については同年一一月九日、和解成立前である同年三月一七日代物弁済を原因とする所有権移転登記がなされていること、即決和解申立書の右岩雄名下の印影と本件各処分に対する異議申立書の被控訴人名下の印影を対照すると、これが全く同一で、かつ、被控訴人氏名四文字が刻された印章によつて顕出されていることが明らかであるから、被控訴人が自己の印章を右岩雄名下に押捺して即決和解を申立てたものとみられること、被控訴人はその主張の金員を借入れるに際し右岩雄との間で借用証書すら作成しておらず、利息の約定もなく、担保も提供していないこと、さらに甲土地のうち岩室三一九番地、三二一番地、三三〇番地の山林三筆については、昭和五五年一二月八日錯誤を原因として所有権移転登記の抹消登記がなされ、右岩雄の転売の交渉等はすべて被控訴人において行つていることが認められ、これらの点からすると、右和解調書は被控訴人主張の借入金が真実存在しないのにかかわらずこれが存在するように仮装されたものとみられないではない。

しかしながら、右代物弁済を原因とする所有権移転登記の登記原因の日付が和解成立前の昭和四〇年三月一七日になつているとの点については、和解は成立していないとはいえ、同日の時点で、すでに代物弁済の合意がなされ和解の申立をしていたとみられ、登記申請自体は和解成立後になされているのであるから、とりたてて問題にするほどのことはないし、印章押捺の点についても、司法書士が被控訴人と右岩雄の印章を混同して押捺したとの被控訴人の弁解もあながち不自然ではなく、また、登記の関係についても、前掲甲第六五号証によると、右岩雄は、甲土地の一部を売却することによつて被控訴人に対する債権をすべて回収することができたため、甲土地のうち、被控訴人から右岩雄に対し所有権移転登記が経由されていなかつた今熊五四〇番地の山林については、被控訴人名義のままとし、右登記が経由されていた岩室三一九番地、三二一番地、三三〇番地の山林三筆については、その登記を抹消して被控訴人名義に戻して精算することとし、昭和五四年四月三日被控訴人との間でその旨の確認書を取り交わしていることが認められるから、とくに不合理な点はなく、なお、若干の疑問点は残るとしても、右岩雄が長兄に当ること、裁判所の関与のもとに和解調書まで作成していることからすれば、これが仮装されたものであつて、被控訴人の右岩雄からの借入金を全く架空のものとみるのは相当でなく、被控訴人の右借入金は、被控訴人主張のとおり存在するものと認めるべきである。

(2)  石井秋平からの借入金

被控訴人は、石井秋平から昭和三五年一〇月に一〇〇〇万円、昭和三六年一一月に一二〇〇万円を借入れ、その返済として、内金九五〇万円については、被控訴人所有の住吉区北島町四番地の五(現在住之江区西住之江四丁目四番の五)宅地一八四・九五坪(以下「北島町の土地」という。)及び狭山町今熊五七〇番地山林二反一畝歩ほか九筆(以下「乙土地」という。)を代物弁済し、残額一二五〇万円については、これを昭和四〇年一月から昭和四八年一一月までに返済した旨及び右石井は代物弁済により取得した北島町の土地及び乙土地のうち六筆を藤岡茂に売却して所有権移転登記を経由し、同人は右各土地を株式会社藤岡組に賃貸している旨主張し、成立に争いのない甲第一号証、第四四号証の一ないし九、乙第三号証の一ないし一〇、当審における被控訴人本人尋問の結果により成立を認めうる甲第五二、五三号証、原審証人石井秋平、同藤岡茂の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果はこれに副うものである。

しかしながら、前掲各証拠と成立に争いのない乙第九号証、第六九号証、第七〇、七一号証の各一ないし三、第一一七号証、前記証人石井秋平の証言及び弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第二七号証の一、二(同号証の二の官署作成部分は成立に争いがない。)によると、石井秋平は前記興亜コンクリート工業株式会社の代表者であつて被控訴人とはきわめて親密な間柄であること、北島町の土地は、昭和三九年五月三一日代物弁済契約がなされているにもかかわらず、その登記手続の日は昭和四〇年二月二六日となつていて九か月も遅れているうえ、右石井から被控訴人の次兄藤岡茂に対し同年九月一八日、同年八月五日代物弁済を原因とする所有権移転登記がなされているが、当時同人は右石井に対し代物弁済の基本となるような債権を有していなかつたこと、乙土地は右石井を権利者として昭和三九年六月二七日、同月二〇日代物弁済予約を原因とする所有権移転請求権仮登記、その後昭和四〇年一一月二五日、同月一九日権利放棄を原因とする右仮登記の抹消登記及び同日売買を原因とする右茂に対する所有権移転登記が経由されており、乙土地を代物弁済に供したという被控訴人の主張に副わないこと、右各登記は、本件各処分に対する異議申立、審査請求の段階で相前後してなされ、しかもその登記手続は一切被控訴人が行つており、その登記済証は、昭和五二年一一月二五日株式会社藤岡組及び被控訴人に対する租税ほ脱容疑で大阪国税局査察部による強制捜索の際、被控訴人の自宅から発見されて差押えられ、被控訴人がこれを右石井や右茂に渡すことなく自ら所持、保管していたことが明らかであること、北島町の土地上には、株式会社藤岡組所有の同会社大阪支店のビル(鉄筋四階建)が建築されており、控訴人がこのことを指摘して右代物弁済の不存在を主張したのに対し、被控訴人は、これを合理化すべく昭和五九年八月二日に至りはじめて北島町の土地及び乙土地について右茂と同会社間の土地賃貸借契約書を提出したが、約定された賃料(年額合計二二〇万円)を支払つた領収証は全く提出されていないこと、被控訴人はその主張の借入金について借用証書も作成していないばかりか、利息の約定もしておらず、また、右借入金のうち代物弁済により返済した九五〇万円以外に、毎月分割して返済したとする残額一二五〇万円について、その領収証も一切提出していないこと、さらに、右石井は大阪国税局の協議団の越本からの照会に対し、昭和三二年被控訴人に五〇〇万円を貸付け、その代物弁済として北島町の土地を受領した旨回答しており、被控訴人の代物弁済の主張と矛盾することがいずれも認められ、右認定の事実と成立に争いのない乙第八六ないし九九号証によつて認められる前記租税ほ脱事件の経過、被控訴人の納税に対する法意識、租税回避行為の手口などを併せて考察すると、前記代物弁済、代物弁済予約、売買などの各登記、仮登記、土地賃貸借契約は、いずれも関係者間で話合のうえなされた虚構のものというべきであり、被控訴人は、右石井から真実その主張のような金員を借入れたことがないにもかかわらず、あたかもこれを借入れたように登記上の形式を整えるなどの工作をしたものとみるのが相当であつて、被控訴人の右石井からの借入金は存在しないものというべきである。

(3)  谷口文好からの借入金

被控訴人は、谷口文好から昭和三六年中に五〇〇万円を借入れ、昭和三七年一月から昭和四五年四月まで毎月返済したと主張し、原審における被控訴人本人の供述はこれに副うものであるが、官署作成部分の成立に争いがなく、その余の部分については前記証人金田誠の証言により成立を認めうる乙第四号証の一、二、同証言及びこれにより成立を認めうる乙第五六、五七号証によると、右谷口は石油店(ガソリンスタンド)を経営しているが、その開業にあたつて被控訴人の援助を受けて以来恩義を感じ、被控訴人と親密な間柄にあること、右谷口は昭和三六年八月当時開業したばかりで自己の営業資金に事欠き、被控訴人に資金を貸与できる状態にはなかつたこと、右借入金については借用証書の作成もなければ利息の支払もなく、毎月の返済金を支払つた領収証も提出されていないばかりでなく、右谷口は、協議団からの照会に対し、五〇〇万円を被控訴人に貸付けたと控訴人の部下職員らに応答するよう被控訴人から依頼を受けた旨回答していることが認められ、これらの点に照らすと、右本人の供述は措信しがたく、右借入金は、被控訴人が右谷口に依頼し、真実その事実がないのにあるように仮装した架空のものと認めざるを得ない。

(4)  新木政太郎からの借入金

被控訴人は、新木政太郎から昭和三六年中に一七〇万円を借入れ、その返済として、堺市戎島町東五番地の九(現在戎島町東五丁九番地)宅地五五・四一坪(以下「戎島町の土地」という。)を代物弁済した旨及び右新木は戎島町の土地上の倉庫(未登記)を藤栄建設株式会社に賃貸している旨主張し、成立に争いのない甲第三号証、原審における被控訴人本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第三六号証(官署作成部分の成立は争いがない。)、当審における被控訴人本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第五一号証、原審証人新木昵の証言はこれに副うものである。

しかしながら、前掲各証拠と、前掲乙第六九号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第八号証の二、成立に争いのない乙第六号証、第八号証の一、第七二号証、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第七号証によると、新木は被控訴人と親戚関係にあり、昭和三六年当時農業に従事していたが、一七〇万円もの金員を貸付ける資金的余裕はなく、協議団からの照会に対し、貸付金を堺市金岡農業協同組合から引出した旨回答しているものの、同組合からは引出した形跡がないこと、右新木の妻昵は土地の買収代金、補償金などを壺に入れて馬屋の端を掘つて土中に埋めていた旨証言しているが、右買収等を裏付ける証拠がないこと、右貸付に際し借用証書の作成、金利の約定もなく、担保も徴していないこと、被控訴人は戎島町の土地上の倉庫について藤栄建設株式会社との間で賃貸借契約を締結したとして建物賃貸借契約書を提出しているが、前記茂と株式会社藤岡組間の土地賃貸借契約書と同様、昭和五九年八月二日に至りはじめて提出されているばかりでなく、右藤栄建設株式会社は、被控訴人の元雇人である古荘順慶、山本久雄や弟である藤岡忠雄らによつて経営されている株式会社藤岡組の子会社であり、約定された賃料(年額五〇万円)を支払つた領収証は全く提出されていないこと、被控訴人は右代物弁済後も戎島町の土地の固定資産税(後に固定資産税相当の賃料の趣旨であると訂正)を支払つていたことを窺わせる供述をしていることが認められ、これらの点からすると、右代物弁済は仮装されたものであつて、右新木からの借入金も架空のものと認めるのが相当である。

(5)  藤岡茂及び藤岡佳雄からの借入金

被控訴人は、藤岡茂から昭和三六年中に八〇〇万円を、また、藤岡佳雄から同年中に五〇〇万円をそれぞれ借入れた旨主張し、原審証人藤岡茂の証言、原審における被控訴人本人の供述はこれに副うもののごとくであるが、前掲乙第九号証、成立に争いのない乙第一〇号証と前記証言、供述によると、右茂は昭和三六年当時乾物商を営んでいたが、八〇〇万円もの大金を貸付ける資金的余裕はなく、右佳雄は被控訴人の実姉冨枝の夫であるが、同様五〇〇万円もの金員を貸付けるだけの資力はないこと、右貸付に際し借用証書の作成もなければ利息の約定もなく、担保の提供もなされておらず、現在に至るまで返済されていないことが認められるから、前記証言、供述は措信できず、右各借入金もまた、架空のものであるとみるのが相当である。

そうすると、被控訴人主張の借入金は、前記岩雄からの借入金を除いてすべて存在しないものというべきである。

(三)  消費支出額の加算について

控訴人主張の原判決添付別紙(一)加算のうち25生活費については当事者間に争いがないから、24事業用資産の譲渡損失についてみるに、前記(一)の(4) 、(5) において認定したとおり、同別紙(一)付4の建設機械明細の1バケツトコンベアは処分されておらず、また、同別紙(一)付5の車両運搬具明細の45ないし47の車両は存在していないことが明らかである。被控訴人は、同明細の12、13の車両についてその処分価額を争つているから検討するに、成立に争いのない乙第四〇号証の一、二によると、同12、13の車両は、同19の車両と同型式であり、同19の車両の方が新品であることが認められるから、同12、13の車両が同19の車両より高価に処分されるとは考えられないことを考慮すると、同12、13の車両の処分価額も、同19の車両と同様、少くともこれと同額の九三万二〇〇〇円とするのが相当である。そうすると、同12、13の車両の譲渡損失額はいずれも一〇五万〇五七五円となり、車両運搬具分の合計額は五一八万三三五八円、建設機械分を含めた合計額は九七三万四三二三円である。

なお、被控訴人は、減算として、土地譲渡益四七四万九五〇〇円を主張するが、その理由のないことは前記(一)の(6) (イ)において認定したとおりである。

(四)  被控訴人は、純資産増減法による本件推計課税につき、推計の基礎事実である資産及び負債の増減が確実に把握されていないから許されるべきでないとるる主張する。

しかしながら、本件訴訟の審理の対象は、控訴人の認定した所得金額の存否そのものであるから、控訴人の課税根拠に関する主張、立証も弁論終結に至るまで、随時提出することが許されるのであつて、本件においては、被控訴人の協力がないため把握洩れとなつていた被控訴人の純資産が徐々に判明した結果、控訴人主張の所得金額が大幅に日時の経過とともに増加したのであつて、このことをもつて本件推計課税が合理的でないということはできず、控訴人の主張する純資産増減法における原材料、土地の価額は期首ないし期末の一時点における価額であるから、これが期中における購入価額を反映していないとしても何ら問題ではないし、被控訴人の事業における特殊事情は、本件推計課税における純資産の増減のなかにすでに反映されているとみられるから問題となりえず、本件推計課税の合理性を損なうものではない。

三  以上認定したところによれば、被控訴人の本件各係争年である昭和三五年期首、同期末及び昭和三六年期末における資産から負債を差引いて得られる純資産、右各年における純資産増加額と、これに当該各年の消費支出額を加算した事業所得金額は、別紙記載の額となることは計数上明らかであり、被控訴人の事業所得金額は昭和三五年分二五七二万三六四六円、昭和三六年分四三四八万二八一〇円である。そうすると、控訴人のした昭和三五年分及び昭和三六年分の被控訴人の所得税の本件各更正処分はいずれも右に認定した所得金額の範囲内であつてこれを上廻るものでないから、何らの違法もなく、また、これに伴う本件各過少申告加算税賦課処分もまた違法はないものというべきである。

よつて、控訴人のなした本件各処分は適法であつて、被控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきところ、これと趣旨を異にする原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから、原判決を取消して被控訴人の請求をいずれも棄却することとし、民訴法三八六条、九六条、八九条、行政事件訴訟法七条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗山忍 裁判官 田坂友男 裁判官 山口幸雄)

別紙 純資産増減法による事業所得金額(認定分)〈省略〉

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